運命2つ―『ヒミズ』

『ヒミズ』を観た。古谷実原作、園子温監督作品。
本作を観に行く事になったきっかけは、佐々木敦氏の『ニッポンの思想』の続編*1である『未知との遭遇』を読んだ事による。同著では、原作版『ヒミズ』が重要な作品として取り上げられている。
また、佐々木敦氏がサブパーソナリティを務める「文化系トークラジオLife」においても自著の紹介をしつつ本作に言及しており「原作と映画はラストが違うが、それでも良いと思った」と発言*2していた。

『未知との遭遇』では運命論が展開されており、様々な作品や思想からヒントを得ながら理詰めの運命論が展開される。そして「なるようにしかならない」「そうなるものだった」≒「(肯定も否定も無く)決まっている」といった運命や宿命*3を具体的に表す作品として原作版『ヒミズ』の結末が紹介されている。
原作版『ヒミズ』の結末は一般的に言えば悲劇的である。しかし同著の考えに則れば悲劇的な結末は「決まっている」ものであり、確かに主人公はその結末へ迎える直前に「決まっている」ことを確認しているのだ。

同著を読んだ後、原作版『ヒミズ』を読んだのだが、主人公の運命が遺伝や環境に起因している様に思える*4。もちろん環境を含めての「運命」なのだというのも判る。しかし、そこでは運命に着目するより環境に着目する方が良いとも思った。なぜなら、そうすれば問題を解決、つまり主人公を救済する事が出来たかもしれないからだ。
とはいえ、作中でヒロインやヤクザが救済を果たせていない。何より、主人公に「決まっている」と伝える存在が第1話から登場する事等から、環境や遺伝も含めた「決まっている」運命が物語の支柱にある事は間違いないのだろう*5

園子温監氏の作品は初めて観たのだが*6、衝撃を受けた。というのもあらゆるものが過剰であるからだ。男どもが殴る、蹴る、罵倒を吐く。それはヒロインにも及ぶ。そしてヒロインが原作より激しく主人公に向かって、一方的とも言える言葉を掛け、勝手に約束を「決めて」行く。同時にヒロインの家庭もまた問題を抱えているのだが*7

物語は津波によって廃墟と化した街並みから始まる。この作品は東日本大震災後の世界であり、この事実は重い。
そして主人公は、「遺伝」と「環境」に耐えて逆らう。
しかし、主人公は自身の存在を否定する父親の暴力を許す事が出来ない。
本作で表現される過剰さは、度々、父親から発せられる存在の否定する言葉や暴力を含めて、「ここに俺/私は存在している」という証明への試みのように思える。
そして、その試みは「存在を否定」しようとする天災をも射程に入れられているのではないか。
過剰なまで暴力的な表現の末に、ヒロインは主人公に、平素余りにも凡庸で退屈で暴力的な、「普通の夢」「頑張れ」という言葉を掛ける。
しかし、それこそ、原作版でも本作でも主人公が欲していたものであり、本作に於いて過剰な暴力の果てに辿り着いたからこそ、主人公はヒロインと自身の言葉―「普通の夢」「頑張れ」に応える事が出来たのでは無いだろうか?*8


新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス ヤングマガジン)

新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス ヤングマガジン)

新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス ヤングマガジン)

新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス ヤングマガジン)

未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ

未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ

*1:あとがきに次作が予告されていた。

*2:最近は同番組に出席しておらず、それもまた佐々木敦氏のキャラとして定着し、ネタとなっている。

*3:この表現は同著の「運命論」を解釈・表現したものであり、同著では「運命論」に様々な補足がなされている。気になる方は同著にあたって欲しい。

*4:あえてここで「遺伝」と「環境」について語るのは平野啓一郎氏による昨今の作品に於いて重要なキーワードである「環境」と「遺伝」を語る登場人物を想起されるからだ。特に原作版『ヒミズ』に登場する主人公、主人公が紙バッグに包丁を入れて街を練り歩くなかで出会う登場人物たちと、平野啓一郎氏が描く、冗長・露悪的に思想を語る登場人物の共通点は多い。実際、平野氏は古谷実氏の作品を愛読しており]、共感するところが多いようだ。:http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/col/20070404/121484/?rt=nocnt

*5:更に言えば主人公は自身の運命も「知って」いたかもしれない、自身が自身に「決まっている」と語ったのかもしれない。しかし、これらを考えても意味が無い。

*6:古谷実氏の作品も読んだもこれが初めてだった。

*7:原作でも主人公に関わる事によって強姦されている(本作ではそういった事は無い)。

*8:ここで2通りの『ヒミズ』という作品の結末が登場する事によって、『ヒミズ』が「運命論」から逃れる事が出来る(というか出来ている)とも考えられる。もちろんフィクション故にだが。佐々木敦氏は同著でそういった考え方についても言及している。