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『夢ばかり観ている場合じゃないぞ』

メモ

デスクに置かれた時計は「PM6:32」を表示している。そろそろ集中力の限界かなと思い席を立った。
まだパソコンに向かって作業している社員が部署を仕切るパーテーション越しに見えた。
オフィスを出るとエレベーターに見知った女性が乗り込むところだった。
「あっ」と思い、エレベーターに体を滑りこませ、女性に苦笑いを浮かべる。
女性は驚いた顔を浮かべながら「高橋さんかー、別に無理する必要もないのに。まだ仕事?」と尋ねた。
「うん、そう。まだ報告書が出来上がってなくてね、ちょっとコンビニで何か買ってこようと思ってたところ。まぁ、あと持って1時間ってところだろうけど」
「そうなんだ、私はもうあがり、このあと新宿で友達と会うんだ」
「新宿か」
「そう、地元から友達が東京に来てて会う事になったんですよ」
「地元って…どこだっけ?」
「静岡です」
「静岡、へー静岡…、そうなんだ、良かったじゃん」
「…そうなんですぅ、良かったんですぅ」
彼女は反応の薄い私にわざと大袈裟に言ってみせた。
「地元の友達かー、そういえばさ…」
と、話そうとした矢先にエレベーターの扉が開き、別会社の社員が乗り込んで来た。
私は話を辞め、エレベーターが1階に停まるのを待った。

エレベーターから出たところで、彼女は私に尋ねた。
「そういえば…って何ですか?」
「えっ、ああ、いやどうでも良い話なんだけど…、前にも話した事あると思うけど、夢の話だよ」
「夢の話…、ああ、前に話してくれた夢の話ですか?大抵出てくる場面が小学校のグランドか体育館の中だって話ですね…。ふふっ、今回はどんな夢を見たんですか?」
「いや、実はね、今回は珍しく高校が舞台だったんだよ、部活をしているところみたいな夢でさ、割と珍しいパターンだったんだ」
「へー、で、何が地元と関係あるんですか?」
彼女は「さっきまで反応の薄いあなたの話を真剣に聴いていましたよ」と勝ち誇った笑みを浮かべながらこちらを見た。
私はその顔を見ながら「ああ、そういえば彼女には地元から離れて県外の高校に行っていた事を話していたんだな」と思いだしていた。
「いや、そのさ、ちょっと前に別れた女の子が出てきてさ」
「あー、あの幼稚園から縁があったとかいう女性ですね、で、あれですか、夢の中でエッチな事でもしたり、別れないでー、とか言っちゃったんですか?情けないなー」
とニヤニヤしながら彼女は言った。
私は「違うよ」と彼女に合わせて笑いながら言った。
私が見た夢はこんなものだった。


高校時代、私は弓道部だった。私は授業を終えると部室に寄り、制服から道着と袴に着替えた。私はそのまま道場に向かうと既に部員達は練習を始めているようだった。ただ道場の雰囲気はいつもより騒々しいように感じられた。私は道場の雰囲気を察して正面玄関を避け、道場内を横から覗く事にした。
すると不思議な事に、道場と的場をつなぐ矢道に私服を着た若者がたむろしていた。若者達は道場にいる部員たちと楽しそうに話している。
俺はそれを見て驚く訳でもなく、そのまま若者と部員たちの間に入っていった。
すると、そこに彼女がいたのだった。
彼女は決して派手ではない服装をしていた。しかし私はすぐに高級ブランドに身を包んでいる事が判った。私は「なぜこんなところでも高級ブランドに身を包まなければならないのだろう?」と彼女の服装をいぶかった。
彼女は男性部員と笑いながら話していた。
私はそこに割って入り「何でこんなところにいるの?」と彼女に笑いながら問いかけた。
すると彼女が答えるより早く、彼女と話していた男性部員が「別にいいじゃん」と答えた。
部員たちと若者たちはずっと話をしていたが、若者たちは徐々にどこかへ消え、部員たちは道場に巻藁を複数用意して練習を始めた。私も弓と巻藁矢を用意して巻藁に並ぶ部員の後ろへ続いた。
しかし彼女は1人、まだ矢道に残っていた。私は彼女に声を掛けることもなく、その姿を眺めていた。
彼女は矢道から道場に上がり、道場から的場をしゃがんで眩しそうに眺めていた。顔を手で支えながら、いつまでも、やはり眩しそうに、的場を眺めていた。

彼女に夢の内容を説明すると「それで?」という顔をした。
私は笑いながら「これでおしまい、特に何も起きない夢でした」と答えた。
「何ですかー、それ」
「だってしょうがないじゃん、それだけだったんだから」
「とりあえず、高橋さんが未練がましい人だって事が判りました。よーく判りました」
「えー、何それ、俺は前向きですよ、いつだって…」
「どこがですが…」
彼女は悪態を吐くていで言った。
コンビニが見えてきたところで彼女は言った。
「別に夢の内容にどうこう言う気は無いんですけど、高橋さんみたいに夢に意味付けしちゃいがちな人もいますけど、夢って過去の記憶の整理整頓みたいですよ、脳科学的に。最近流行りの脳科学的に」
「へぇ…」
「だからぁ、脳科学的に言うと、その別れた彼女さんが夢に出て来たってことは、高橋さんにとって彼女さんが『過去の人になった』って事なんじゃないですか?」
「ほぉー…、ほぉ…そういう事なのかな?」
「そうなんじゃないですか?良かったですね、やっと見切りを付ける事が出来て。もう別れて半年以上も経ってるのによくもまぁぐだぐだ…煮え切らない人ですね」
「えー、別にそんな事ないけど」
「はいはい、じゃ、これで。これからも良い夢でも見てて下さい」
「何それ…、じゃ、地元の友達にもよろしく」
「はぁ?ありえないんですけど〜」
「冗談だよ」
と笑いながら彼女と別れ、コンビニに入った。立ち読みでもしようかと週刊誌を手に取り頁を開いたところで彼女の言葉を思い出す。
「別れた彼女さんが夢に出て来たってことは、高橋さんにとって彼女さんが『過去の人になった』って事なんじゃないですか?」
私は開いた週刊誌に顔を向けたままもう一度、
「ほぉー…」
と独り呟いた。


関連:『夢と「文学」の可能性』http://d.hatena.ne.jp/xerxes1/20110821/1313958404