パウル・クレー展 おわらないアトリエ、あるいは同級生の訃報

高層ホテルのラウンジのソファーに腰を降ろした。眼前に広がる夜景は、震災以降による節電で幾分光が失しているかのように見えた。背後にはバーがありグラスが交わされる音と談笑が聞こえる。
手持ち無沙汰だったのでテーブルに置かれた会員制雑誌を手に取ると、パウル=クレーの特集が組まれていた。学生時代、講義でヴァルター=ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』をテキストとして取り組む中、ベンヤミンが死ぬまでクレーの『新しい天使』を携行していた事を知った。それ以来パウル=クレーの作品をいつか観に行こうと決めていた。
雑誌によれば東京国立近代美術館で展示会が開かれるとの事だった。
雑誌を閉じてテーブルに置いて、顔を上げると視線の先をラフな格好をした白人が通り過ぎていった。背後から遠慮気味な笑い声が聞こえた。夜景を見ながら馬鹿らしいなと思った。

『パウル・クレー展』に於ける展示は、クレーにより意図的に撮られたというアトリエ写真と共に、その写真に写る作品を鑑賞したり、その技法や細作過程を追う事が出来る工夫がされていた。
展示室の出口付近に設置された「SonderKlasse(特別クラス)」と題された展示を見始めようとした時、ジーンズのポケットに入れたiPhoneが振動した。ポケットからiPhoneを取り出し液晶画面を見ると大学時代の同級生からのメールが届いていた。メールの内容には大学の同級生が亡くなった旨が記されていた。慌てて友人に何も知らなかった旨を伝える文面を返信した。

亡くなった大学の同級生とはそれほど親しくも無かったが、学部の人数が50人に満たなかったのでよく声を掛けていた。彼との会話で思い出すのは、カミュの『異邦人』を取り扱った講義で、「太陽のせい」で殺人を犯したムルソーについて、「太陽のせいで殺人を犯す人間がいてもおかしくないのでは?」と挑戦的に質問した際、彼は「そんな人間がいたら、社会が成り立たないし困ると思うんだよね」と至極まともな返答をした。
そんな彼が卒論でニーチェ及びショーペンハウアーについて書き、大学院進学後はドイツ観念論を専門とする教授を指導教官にしたという。同時に彼は大学院進学後、すぐに講義に顔を出さなくなったとも聞いた。

同級生が亡くなったという報せを聞いた後、改めて入口からクレーの絵を足早に鑑賞した。
再度、作品を見返すと、線で構成された絵よりも色で構成された作品や記号が描かれた作品に興味を覚えた。
展示会を後にして、連絡が取れる同級生や教授に連絡したところ、同級生は自殺で去年亡くなったという報せが届いた。詳細について改めて連絡を貰えるよう記したメールを返信した。

展示場から神保町に向かおうとしたところ、地下鉄出入口で50代位の女性に声を掛けられた。
「気象庁ってどの辺にあるのかしら。待ち合わせをしているんだけど」
iPhoneを操作して気象庁の場所を確認して女性に伝えた。
「やっぱりあっちよね。違う場所に出てしまったみたいだわ、もう。わざわざありがとうございました」
女性は近くにいた2名の女性の元に戻り、出入口を間違えている事を伝えているようだった。


『パウル・クレー展 おわらないアトリエ』公式ホームページ
  http://klee.exhn.jp/index.html