駐車場なんて新鮮な気持ちでみれるかっつーの!!『シリアスマン』

コーエン兄弟監督作品『シリアスマン』を観た。

物語は、ユダヤ教徒で大学の教員である男に訪れる不幸について描かれている。
度重なる不幸に男が追い込まれていくのだが、つまるところその問題は金の事である。
妻との離婚の裁判費用、妻の浮気相手の葬儀費用、息子が勝手にカードを利用した費用、家のローン、永久教授職etc…
私が本作品の題名である「シリアスマン」を劇中で聞き取れた台詞は、

  • 「私はまともなユダヤ人共同体の人間に戻りたいのだ」(ウロ覚え)

である。
この男にとって「シリアスマン」である事が、ユダヤ人共同体で平穏に暮らす事だというところが面白い。
この男の家に居候している叔父がいるのだが、この叔父は職もなくアパートを探す事も無く首の膿を吸いだす事やノートに狂気のセフィロトの樹の書きつけ、賭け事でちょっぴり儲けてしょっぴかれ、売春の疑いでせっぴかれの、正にユダヤ人共同体のあぶれ者である。
男はこの叔父になる事を恐れているのだ、自分の近くに置きながら。
そのように考えれば「シリアスマン」である事が綱渡りの作業であり、常に未来には落とし穴が待っているという糞つまらない教訓を発見する事は出来るが、それはどうでもいい。
更に本作のラストでは、勝手に男のカードを利用したり、20ドルでマリファナを購入し吸う息子の神学校に、正に今襲来しようとする竜巻が映し出される。
竜巻を見つめるマリファナの元締めである生徒や男の息子を見ると、私たちのルールをぶち壊すものに対して為す術はないのだなと思うし、共同体を形作る神学校が竜巻で吹き飛ぶ可能性を示唆されるのを見ると、男の居場所である共同体さえ不確かなものであるという事が判る。
そのように考えると『ノー・カントリー』と通じるところもあるのかなと思う。
映画の中で息子が聴いている音楽がそのままこの映画の主題歌。格好良い曲ですね。