予言の自己成就?『アンチクライスト』

ラース=フォン=トリアー監督作品『アンチクライスト』を観た。

自分から映画を観に行く気は最近失せていたのだけど、最近友人の影響を受けて映画館に足を運ぶ事にした。
クリント=イーストウッド監督作品『ヒアアフター』が震災の影響で公開自粛になるという事もあったのが何となく背中を押した。
今は当たり前にあるものがすぐに無くなるという事態がある事に、普段からそうだったにも関わらず気が付かされた次第である。
ラース=フォン=トリアー監督の作品は『ドッグヴィル』『マンダレイ』位しか無く、続編である『ワシントン』の発表を待っているのだが、まだ公開されていない。
上記2作品を観るからに、『アンチクライスト』が一筋縄でいかない、シニックで、愚かに人が撮られているのだろうと考えていた。
しかし、予想は少し斜め上をいっていた。
セクシャルな内容である事はある程度予測してのでそれはいい、肉体的な痛みがあるとは思わなんだ。
アンチクライスト』は、夫婦の営みの最中に子供が階上から転落死、妻が精神的な追い込まれてしまう。
そこでセラピストである夫が治療の為、妻が恐れを抱くエデンと呼ばれる森に足を踏み入れ、夫婦共に精神を蝕まれていく姿が映しだされていく。

物語は妻が以前エデン滞在時の論文執筆中に得た示唆を元に展開されていく。
そして、妻が得た示唆が夫婦によって実行され最終的に妻の発言通りに物語は終幕を迎える。
つまり、結局妻が得た示唆というのは、妻にとって実行されうる現実であり、セラピストである夫は客観的に妻の妄想を解体していくはずが、妻の妄想の実行者になっていたのである。
こういうのを予言の自己成就というらしい。
ちなみに妻の論文は、夫によって内容をきちんと証左しろといわれる様な内容である。
しかしそれは妻にとって現実であり、息子の死という事実も含まれているのだからタチが悪い。
根拠も無い憶測を現実と思い込み、周囲を巻き込みながら実行してしまうというのは非常に厄介なものである。
例えば、私は以前から友人や職場の人間から「幸が薄い」「幸福の絶頂を迎える寸前に死ぬ」「早死にする」「自損事故で死ぬ」「社会生活をまともに営めない」等と結構酷い事を言われている。
日頃の言動がそういう指摘を生むのだろうから彼らを非難する事は出来ないのだが、そういう何とも曖昧な指摘に対して私は肯定も否定もする事は出来ない。
元来の言動から導き出された事なのか、指摘された事を意識する事によって実行されているのか、最早私には判らないが言葉にされた時点で、私の行先は修正させられている。
我ながら何とも浅はかで馬鹿な考えなのだけど。
とりあえず精神錯乱状態に陥ると夫にセックスを求める姿は、セックス依存症なんじゃないかと思うんだが、どうなんだろう。
尚、この映画はアンドレイ=タルコフスキーに捧げられており、『惑星ソラリス』との(私はアンドレイ=タルコフスキーの作品は『惑星ソラリス』しか知らないのだが)関連があるのかもしれない。

関連:『ソラリス』:本ブログでは『惑星ソラリス』のリメイク版である『ソラリス』について、「生の一回生』という観点で言及しています。