散歩、つまり余暇



前職で使用していたデジタルカメラを持って散歩に出かける。
特に撮りたいものがある訳でもなく、あくまで証拠保全的な意味合いでしかカメラを使用した事は無い。
しかし、おそらくそういう理解でしかカメラを使用していないので、そのようにしか写らないというのが本当のところ。
カメラの設定をいじりながら、意味がわからない単語を判ったつもりで、選んでいく。
こんなものに意味があるのかと意味も無く写真と撮ってみると、どういうつもりで撮ったものなのかさっぱり判らないものが残っている。



雨上がりの公園を歩けば、湿気を含んだ地面に対する違和感、靴が汚れると思うのはアスファルトを歩く事に慣れすぎたからだというのは明白で、いつから土を踏まずを歩いてきたのかと思うのだけど、かなり前からだという事しか判らない。



特に目的も無く歩いているつもりでも目的が無ければ歩くのも難しいので、照明灯に誘われて野球場に向かう事にする。
あだち充の『タッチ』が午前10時30分から始まるのを観ていたのは、夏休みの午前中、衛星第二では『夏休みアニメ特選』で『ぼくの地球を守って』を家族と観ていた。
漫画版『タッチ』を読んでみたのだけど、アニメ程口説くなく死んだ弟の存在をタツヤ君と南ちゃんが感じているのが判る。アニメだとやけにタツヤ君がカツヤ君に成りきる事に対して周りが忠告している印象がある、もちろん思い出補正だけど。



歩道橋から青梅街道を撮ってみる。
こういう車の流れを撮るのはベタなところで、歩道橋から体を投げ出したらと考えるのもベタ。



公園を歩いていたら柳の下に青い影、ちょっとしたホラー映画のひと時、女の子には「私色に染めよう」と書かれていましたが、色というのは選ぶよりも選ばれるものか。
クレヨンより色鉛筆の方が綺麗に塗れると思っていたが、クレヨンでガリガリと画用紙に色を塗るのも今思えばストレスの発散になるような気がする。色鉛筆で色を塗る作業は神経を使うのだ。
しかしクレヨンにこびり付くあの黒いカスは一体なんだったのか。