『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』

『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』を観た。
上記の作品を今更ながら観にいった。正直私はチェ=ゲバラにとても興味を持っているとはいえない。それは彼の功績をあまり知らないことも影響していると思う。しかし興味を持てない一番の原因は彼の革命のための武装闘争が、その時代にこそ有効であって、現在では有効でないと思っているからだろう。
ではなぜ私はこの映画を観にいったのか。それはゲバラの青年時代を描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』を過去に観たからだ。そこではキューバ革命を起こす以前、青年期のゲバラが描かれている。バイクで中南米を旅するゲバラは貧しい人々と出会うなかで、言葉にこそ出さないが、この世界を変えなければいけない、と考えを深化させていく。『モーターサイクル・ダイアリーズ』は彼が変革への決意をして終わる。それではその先はどうなる。そう思っていたところにこの映画が公開された。

『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』、この二つの映画は、話に聞いていたが淡々と進んでいく。派手なアクションシーンを期待して観にいけば退屈するだろうと思う。実際私もその単調さにどうやってこの物語を観れば良いのかわからなくなった。しかしその単調さはただの娯楽作品をつくるのを意図しないものゆえに生まれたものなのだろう。おそらくこの物語はチェ=ゲバラそのものを映し出そうとしたものなのだ。そう考えを切り替えて私はこの映画を観続けた。

私は革命というものに対して正直いって懐疑的だ。それが武装闘争によるものならなおさらだ。実際彼は体制を維持しようとする者にとってはただのテロリストなのだ。
映画の中でゲバラは、まだ武装闘争をする段階ではないと反対する共産党員にいう。実際に苦しんでいる人がいる今以外にいつ武装闘争を始めるのか、と。
確かにただ体制を批判するだけでは何も始まらない。何か行動を起こさなければならない。そしてそれを成功させなければならない。結果を示さなければならない。ゲバラはキューバ革命を実際にやってのけた。
またゲバラはアメリカ人ジャーナリストにこたえていう。キューバに乗り込もうとするとき、ある種の狂気がそこにあった、と。そして革命家には愛が必要だとも。
狂気、それはおそらく誰もが無理だと思うことを行おうとする時に自らを突き動かすために生まれるのだろう。そして愛は、人々の生活を良くしようという革命家にとって最も当たり前のことなのだろう。ただ自分の意見を通すためだけに革命を起こすのではなく、全ての人々の生活を良くしようという意識においてゲバラは現在のテロリストとは違うのかもしれない。
しかし狂気とは何だろうか。映画の中で語られる意味において上記の通りだと考えられるのだが、それは理性なのだろうか。しかもこれから武装闘争を行う者にとっての狂気。もちろん理性だけが人を行動させるとは思っていない。だがその狂気が、ゲバラのいう愛を転倒させることはないのだろうか。
おそらくゲバラは彼のいう愛を最後まで体現することが出来たのだろう。それゆえに彼は英雄として賞賛されるのだろう。

私は最近NHKによる辺見庸の特集を観た。辺見庸は現在の資本主義に変わる、共産主義とはいわなかった、違う体制を人々が求め創られるのではないかと語った。また文化系トークラジオLife*1を聞くと佐々木敦は、革命は起きると思っている、とよく語る。私はそんな語りを聞くたびに、それは一体何なのだろうかと思う。せめてその新しい体制の姿を語って欲しいと思う。それとも彼らはそういいながら視聴者にこう問いかけているのだろうか。「あなたの望む世界は何ですか。それを行動に移さないのですか」と。
最初に言ったが私は革命に懐疑的だ。例えば何十年も前の学生運動をテレビで観ると、学生と警官が衝突していたりする。しかし警官と戦ってもしょうがないではないかと思ってしまう。もっと本質的な何かに訴えなければ意味がないのでないかと考えてしまう。ではその方法が何かといわれれば何も提示しようがない。本質に訴えるにはまずそこに至るまでの行動が必要なのだから、学生たちは警官と衝突したのだし、ゲバラは武装闘争をしたのだろう。
結局私の方こそ非現実的な理想主義者なのだろう。そうわかってもたぶんゲバラや学生運動のようなことはできない。考えて立ち止まる。何か違うのではないかと。

*1:ちなみにこの映画を特集した特別編がポッドキャスト:http://www.tbsradio.jp/life/200901172009/ で聴ける。私はまだ聴いていない。これから聴く。そして何か考えることがあったらまたブログに書き込もうと思う。