「柄谷行人論」「文學界2月号」を読む。

 大澤信亮の『新潮』2008年11月号に掲載されている「柄谷行人論」と文學界2009年2月号の東アジア文学フォーラムの特集記事を読む。
 大澤信亮の「柄谷行人論」は思想地図vol.2の「私小説的労働と組合―柳田國男の脱「貧困」論」を読んだ上で、興味が湧いたので読んでみた。思想地図の方はかなり内容を理解するのが難しかったのだが、「柄谷行人論」の方は割りと読みやすい。もちろん内容を理解するのは難しいのだが…。柄谷行人の本を読んでみなくてはなと思う。
 文學界では東アジア文学フォーラムに出席した青山真治、平出 隆、平野啓一郎の座談会、同フォーラムに出席した綿矢りさのインタビューを読む。座談会では全員九州出身ということで主に北九州の話をしていた。どうやら北九州というのは本当に『サッド・ヴァケイション』で描かれるような場所らしい。そういう場所で育ったということが、平野啓一郎が『決壊』で描いた「遺伝と環境」の話とつながりを持って語られていた。綿矢りさのインタビュー記事はあまり覚えてない。覚えているのは、自分が嘘を書いていると思った文章は必ず削除する、と答えていたこと。素朴だけど、これは難しいことをいっているなと感じた。あと綿矢りさの写真が載っていて、別に必要ないなぁと思った。悪い気はしないけど。それに反応する私のような読者が一番問題か。