「新潮」「群像」「すばる」二月号、「思想地図」vol.2を読む。

暇な時間があったので図書館で文芸誌を適当に読んだ。

「新潮」では宇野常寛の「母性のディストピア――ポスト戦後の想像力」を読む。とりあえず読んでいるが内容はもうよくわからない。現在は矢作俊彦が取り上げられている。昔、矢作俊彦の『ららら科學の子』を読もうとして結局読まなかった。そういえば『黒冷水』を書いた羽田圭介は文芸誌で『ららら科學の子』などを読んで小説の勉強をした、と何かで言っていたような気がする。「母性のディストピア」では堀口大學を主人公にした『悲劇週間』について書かれていた。もちろん読んだことないのだが、最近文庫化されて少し気になっている。

「群像」では大澤真幸の連載第一回目「<世界史>の哲学」、蓮實重彦「映画時評」を読む。「<世界史>の哲学」は普遍性と特異性について書かれている。いわゆる古典はその時代の特異性によって書かれたものだが、現代はそこから普遍的なものを読み取っている。この二つのものは別々に書かれているわけでなくその特異性によって普遍的なものが導き出される云々。そういうことをこれから考えていくらしい。これは面白そう。これからが期待。蓮實重彦「映画時評」はあまり覚えてない。オッパイぽろりな映画だった、たしか。

「すばる」では特集「越えてゆく、言葉−第一回東アジア文学フォーラム」から青山真治の「文学と文化の谷間にて」、他に金原ひとみと天埜裕文の対談「小説を“書き続ける"ために」をさらっと読む。青山真治の「文学と文化の谷間にて」では韓国で開かれた東アジア文学フォーラムなるものについての報告が書かれていた。そのフォーラムで綿矢りさが京都なまりで「ドストエフスキイ」と発言したことを書いているのに笑った。相当印象に残ったのだな、青山真治は。それを読んで喜んでいる私も私だが…。金原ひとみと天埜裕文の対談、私は天埜裕文という人は知らない。まず読み方がわからない。でもすばる文学賞を取った人らしい。しかも携帯で書いたらしい。すごいなぁと素直に感心。金原ひとみの本をCDが売っているお店で買って読み、それから小説を書き始めたとか。『蛇にピアス』ってそんなに昔の本だったけ…。

「思想地図」vol.2で20歳現役東大生のデビューというふれこみの入江哲朗「市民性と批評のゆくえ―<まったく新しい日本文学史>のために」のみ読んだ。読んでいきなり出てくる作品が北杜夫の『白きたおやかな峰』だからかなり驚いた。普通の20歳学生は読んでないよな、これは…。それとも東大生なら読んでるものなのか。まぁそれはどうでもいいけど、やっぱり文芸批評をするくらいだからこれくらい読んでるだろうな。私は本当に偶然、昔インフルエンザで家にこもっているとき、親が暇なら読めばと押入れの奥から北杜夫の作品を渡してきたことがあって、そのなかに『白きたおやかな峰』があり、読む機会があった。割とこの病気で家にこもっている時の読書って個人的に重要で、たぶん大江健三郎とか、読んだのもこういう時だった気がする、どうでもいいけど。さてその文芸批評の内容は三島由紀夫と北杜夫の作品について、蓮實重彦の「愚鈍さ」という概念を使って云々という内容だった。とりあえず入江哲朗という人は戦後60年の日本の文学、思想に精通してそうだという印象。なんというか宇野常寛の仕事を一気に飛び越えていくような感じがした…というのは言いすぎか。二人の目的、やり方が違うだけだろうけど。あと上記の天埜裕文のような人がいる一方で、入江哲朗のような人がいる。そんな若い文芸の人たちって面白いなーと笑ってしまう。皮肉じゃなくて。そんな雑感。