新潮1月号 群像1月号

 新潮1月号より「特別対談 日本語の危機とウェブ進化/水村美苗+梅田望夫 議論沸騰『日本語が亡びるとき』をめぐって」。島田雅彦の「Nirvana Mini 極小彼岸」。平野啓一郎の「顔文字考」。蓮實重彦の「随想」。宇野常寛の「母性のディストピア――ポスト戦後の想像力(三)」を読む。また群像1月号より蓮實重彦の「映画時評」を読む。
 水村美苗と梅田望夫の対談で気になったところは芸術表現においてはウェブの発達は関係ないということが『ウェブ進化論』を元に話されていた。これは良い発見。
 島田雅彦の文章に茶道とキリスト教の関係が記述されていた。茶道とキリスト教に関係があるという話は聞いたことがあったが、半信半疑だったので今回で腑に落ちた。
 平野啓一郎の文章はあんまり覚えていない。
 蓮實重彦の文章は初めて読むかもしれない。ノーベル文学賞から国籍、村上春樹論とその論争について。また水村美苗の『日本語が亡びるとき』について書かれていた。
 宇野常寛の「母性のディストピア」もうついていけそうにない感じである。
 蓮實重彦の「映画時評」はアレクサンドル=ソクーロフ監督の『チェチェンへ アレクサンドラの旅』を紹介していた。私は蓮實重彦の映画時評はなんかすごいものだと勝手に思っていたのだが、そうではなかった。今回のソクーロフは以前の作品より観やすいそうです。とはいっても『牡牛座―レーニンの肖像』ぐらいしか観ていないのだが。