新潮12月号『すっとこどっこいしょ。』『母性のディストピア―ポスト戦後の想像力』

 新潮12月号において連載中の宇野常寛『母性のディストピア―ポスト戦後の想像力』を読む。『ゼロ年代の想像力』ではかなりの割合において母性について語られていた。正直、母性がどうしてこうまでしつこく語られるのかと疑問に思った。なのでそれがどのように展開されるか楽しみである。しかし江藤淳という文芸評論家が何をやってきたか、という議論の前提知識がないのでどこまで理解できるのか、という個人的問題もある。
 また舞城王太郎の『すっとこどっこいしょ。』を読む。どうも前に読んだ『イキルキス』と話の構造が非常に似ていた。中学生、高校生の生活において恋愛と勉強が主要な問題だということだろう。それはサバイバルな場所でもある。同時にモラトリアムな場所だろう。ああ、これがもしかして「ゆるやかな(終わりのある)つながり」だとか「ケジメをつけるまで許容する場」なのかと思ったりした。しかしそれは間違いだということも知っている。学校がそんな場だったと思えるのは自分が学校という場所にいないからだろう。あのけだるさは大学のけだるさとは違うものだ。いかにして平静に普通に楽しく生活しているか装う場所だった。『すっとこどっこいしょ。』のキャラクター達はどうにかして自分の場を確保し、また維持するよう懸命であった。それがとても良かった。