『日蝕』から『決壊』までの簡単な雑感

 平野啓一郎が「現代に聖性」を取り戻す云々と『日蝕』でデビューした。そして現在『決壊』を発表し終えている。なんだかずいぶん『日蝕』から遠いところまできたんだなと思う反面、全くぶれていないんじゃないかと私には思えてきた*1。『決壊』には神も仏もでてこない、しかし「悪魔」がでてくる。様々な書評や著者インタビューを見ると「神無き時代」という言葉が出てくる。ここで平野啓一郎が「神無き時代」を描き続けることによって、逆説的に「現代に聖性」が浮かびあがってくるとしたら…というのが平野啓一郎がぶれていないんじゃないかと思った理由です。
 ただし、そういうやり方で「聖性」が取り戻せるほど単純じゃないのが現代というものだとすると、一体何十年前の方法論だと笑われそうな考えです。

*1:『日蝕」を読んでから約十年もたっている。そりゃ、遠いかも。