純喫茶磯辺

『純喫茶磯辺』を観た。
スクリーンを観ながら、なんだかテレビを観ているような気がしてきた。これは作品に対する不満ではない。そう感じるぐらい肩の力が抜かされていた。そう感じるくらい無邪気な作品だった。そして無邪気であるがゆえにこの作品はそこかしこにバカ正直な痛みがある。ただしこの無邪気さは、当たり前だが、演出によって加工された無邪気さである。
麻生久美子演じる素子なる女性を観ていると、特に痛々しい気持ちになる。ただいつも思うのだが、私が痛いと思っても本人が痛いかどうかはわからない。割と本人はアッケラッカンとしていることがある。他人の思いに自分の思いを投影して、勘違いするのはよくない。結局本当のところなどわかりやしないのだろうけど…。この素子なる人物を観ていると結構既視感があって、私はこういう人が苦手である。全部一人で引き受けてしまう人。こういう人は概してどこかへ知らぬ間に消えてしまうのである。勝手である。
何だか異様にサービスカットの多い映画であったような気がした。仲里依紗演じる女子高生の露出が無駄に多いし、麻生久美子もメイドしているし。二人が並ぶと、若さゆえ肉感的な仲と妙齢麻生の色気で画面が満ちていく…と思うと、日常から生まれる隙が彼女らをつついて、とっても俗になっちゃたりする。
一方、男たちは全くもってどうしようもなく木っ端微塵に描かれる。納得(笑)。