『複製技術時代の芸術作品』『写真小史』『パリ―十九世紀の首都』

 前回アウラについての自分の無理解が露わになって終わった。ここはいったん、アウラそのものの理解ではなく、「アウラの凋落」について引用することで決着をつけたい。アウラについての記述ははじめにまとめてはいる。

事物を自分たちに〈より近づけること〉は、現代の大衆の熱心な関心ごとであるが、それと並んで、あらゆる所与の事態がもつ一回的なものを、その事態の複製を受容することを通じて克服しようとする大衆の傾向も同じく彼らの熱烈な関心事を表している。

この大衆の一回性の克服をしようとすれば、アウラアウラ的なものは、衰えていく。そうか、今気がついたが、「凋落」ということはアウラが消えたわけではないのかもしれない。

 『ベンヤミン・コレクションⅠ』を読んでいる。『パリ―十九世紀の首都』を読んだが、理解には遠い。しかしベンヤミンの思考、一から千に広がっていく伸びのある論理は読んでいてほれぼれする。本来、私はベンヤミンアレゴリー論を学ぶべく彼の著書に手をつけたのだが、今回パサージュ論などにも興味を持った。建築という芸術、そのものが観想の対象ではなく気散じであるもの、について考える気になった。というか結局一事が万事、勉強することに無学な私は事欠かないわけだ。しんどー。

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)