『複製技術時代の芸術作品』『写真小史』

 『写真小史』に目を通した。『複製技術時代の芸術作品』に出てくるアウラの記述は『写真小史』からの引用らしい。『写真小史』は小史というだけあって写真の発明からその進化と影響の歴史について書かれているようだ。そんな写真の歴史についての知識を得たところに、今日の朝日新聞夕刊を眺めていたら東京都写真美術館の広告が目に入った。広告に「ヴィジョンズ オブ アメリカ」という題名がありコラムが載っている。副題は「その① ダゲレオタイプ渡米」とある。『写真小史』にも書かれているがフランスのダゲールという人物が銀板写真を発明し、それが世界に発信された、という話題からこのコラムは始める。さてコラムに特に注目したいところ、それはエブラハム=リンカン*1が最初にメディアを活用した政治家であるといわれてる*2、というところである。19世紀アメリカのメディアは新聞以外になかった。しかしリンカンは肖像写真を撮影し、それを版画にし絵入り新聞に演説内容と共に発表。そしてその肖像画を写真方式で複写したものをケースに付帯させてリンカンの思想を広めるアイテムとして効果を発揮した、と書かれている。このリンカンのメディア利用について、ベンヤミンは政治家のメディア利用という形で『複製技術時代の芸術作品』において指摘していた。

 さて本当のところ、アウラについて考えようと『写真小史』を読んだのだが、いまいち理解できていない。『複製技術時代の芸術作品』では最終的に儀式にアウラ的価値が基づく、と書かれている。しかしその前の部分、写真小史からの引用部分でもあるのだが、そこではむしろ空間と時間における一回性、が強調されているように思える。そもそもそれが儀式的なものだ、と言われればそれまでだが、どうも釈然としない。儀式にこだわりすぎているのか。人が芸術にアウラを伴う方法が儀式に基づくのであって、アウラそのものは日常に現れるものなのかね。

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)

*1:コラムの名前表記に従った。個人的にはエイブラハム=リンカーンと書きたい。

*2:このコラムには初めて利用したメディアが新聞を差すのか、写真技術を差すのか、はたまた絵入り新聞を差すのかわかりづらい。文脈からすると写真技術の利用を差していると思われる。