性犯罪被害にあうということ

小林美佳著『性犯罪被害にあうということ』を読んだ。

新聞を読んでいるとこの本の広告が目に入った。それから気になってしょうがないという気持ちになったので購入を決めた。

最近、性犯罪について考えることがあった。ただし性犯罪を行った男の心理についてである。ここでわかるのは私が、その被害にあった女性について考えるということが出来にくい状況になっていることである。おそらく新聞の広告が目に入って気になりだしたのは、その広告によって、私がそういう状況に対して図星を指されたということだろう。

4月28日付けの朝日新聞朝刊「ひと」欄に著者小林美佳が登場している。それによれば、この本は

あてもなく書き続けた手記がもとになった。「小林美佳の場合」にすぎないけれど、それが、誰かへの理解の助けになったらいいなと思う。

とある*1

冒頭に筆者は同情を買うためにこの本を書いたのではない、という。筆者が願うのは理解である。身近な人が犯罪、被害に巻き込まれたときに相手への気持ちが募るほど、被害者本人とすれ違ってしまうかもしれない、理解することが容易ではないはず。そのためにこの本が理解への一助に。なぜなら理解こそが強力な被害者への支援であるから、と。
 
自分が果たして理解者になることができるのか。自分は被害者をむやみに傷つけたくない、という名目のもと、被害者から逃げようとするのではないのか…。あと自分の性について。今はそれを思っている。

性犯罪被害にあうということ

性犯罪被害にあうということ

*1:蛇足になるが、大江健三郎は『個人的な体験』という本で冒頭、個人的な体験は個人的な体験であるがゆえに一般に還元される、と書いていたと、友人から聞いたような、聞かないような。