優雅で感傷的な日本野球

 高橋源一郎著『優雅で感傷的な日本野球』を読んだ。

彼の作品は『日本文学盛衰史』を読んで、もうこれ以上読まなくていいかと思った。だって『日本文学盛衰史』なんて大それた名前がついてるんだから、もう彼は日本文学について語り終えたんじゃないかって。まぁそれは冗談だけど、そのあと二三の短編集を読んで、それは確か近親相姦という言葉が頭から離れなくなった親父の話だとか、やさしいフリをしていた凶暴な男の話とかだった。そのあとは放っておいた。『日本文学盛衰史』はもう何だか全てがパロディになって、すごいことになって森鴎外がひどく嫌な奴という印象をもったようなもたなかったようなそんな気がした。で・樋口一葉の小説修行はセックスで、ああもうこの話はもうよいような気がする。というか『優雅で感傷的な日本野球』にしても『日本文学盛衰史』にしても理解したように書けないし書くつもりもないから、こういうダラダラとしたスタイルで、ワレワレのスタイルで、アワースタイルでいくことにする。
 で結局この『優雅で感傷的な日本野球』もパロディというものなのだろうか。いやもうパロディとかそういうものはどうでもよい。この本のなかではライプニッツの単子(モナド)論は単子(ボール)論になっているしカントの『プロレゴメナ』は野球選手のポケットの中に収まっている。野球選手はコーチよりカント爺さんの言葉に従ってプレーしている。書いてて意味がわからん。いや、わかるのだが、ただそれだけだ。
 何だかこの本を読んでいると沢木耕太郎の『敗れざるものたち』だとか『彼らの流儀』あたりを思い出した。これらの作品のなかで語られる幾人かのプロ野球選手たちの話。まぁ語られていてもかなり俺の上の世代だから知らない人だちばかりなのだけど、かなり究めたバッターの話とか、カフカが好きな選手とか、ロバート=レッドフォード主演の野球映画『ナチュラル』を観てこれだよねと呟く一茂とかね………。むしろこっちのほうが優雅で感傷的かもしれない。メジャーリーガーが股間のサポーターをクイッと動かす姿を見てかっこいいと思う人がいてもいいと思う。関係ないか。だいたい一生野球をやって、身をボロボロにするのが美学ともいいそうな雰囲気がある日本野球なのだから感傷的にもなる。というか一生懸命にやって、次の職業がコンビニの店長だったりするようなのだ、さっき新聞をみてたら載ってたぞ。でもそれでいいのかもしれない。ていうかそれでいい。
 それにしてもCDプレーヤーの調子がおかしい。最後まで曲を再生してくれない。
 今日は暑かった。汗をかくと、肌に汗が膜になってより息苦しくなる。そういえば昔の野球着も蒸れて大変だったとか。優雅で感傷的な気持ちにさせてくれる日本野球の影で彼らはアセモと戦っていたのかもしれない。でも今はアシックスとか、色々空気の通りがよい服になって衛生的に改善されているとか。名実ともに優雅で感傷的に、日本全国総オナニー時代といったのは諏訪哲史だったかなぁ。どうでもいいけど。

(追記20090129)『日本文学盛衰史』を読んだと書いているいるが、同著者の『官能小説家』の間違いかもしれない。もう忘れた。ただ図書館で借りたのは間違いないから、『官能小説家』ならよく借りたなと思う。時期的に中学生ぐらいだと思うんだが…。

優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

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