夢を与える

綿矢りさ著『夢を与える』を読む。綿矢りさの作品を読むのは久しぶりだ。前作を読んだのはいつだろうか。文庫化の時に、一つ書き下ろし作品が収録されているらしいがそれは未読だ。ということはこの『夢を与える』は『蹴りたい背中』を読んで以来になる。私がリアルタイムで見た、大きな文学賞を取った、若い世代の作品を、ずっと追っていきたいという思いを持っている。その中に綿矢りさの作品も含まれている。ただし綿矢りさの場合、その理由に作品が少ないからその足跡をたどりやすいというものが含まれているかもしれない。実際、綿矢りさと一緒に芥川賞を受賞した金原ひとみの作品を追うには、少し荷が重いと思ってしまう。彼女の作品も結局読むのだろうけど。

さて『夢を与える』という作品は、私の期待を、色々な意味で裏切ってくれるものだった。いや、おそらく良い意味でなのだろうけど。

作品の概要を知っていたので、都会的な、フォーマルなイメージを思い描いていたのだがこの物語は前半全くそれを拒否して東京郊外の自然と、その自然に囲まれた少女が描くことに割く。前半を読んでいるとき、こういう本を久しぶりに読んだなと感じた。昔、椎名誠の私小説を読んでいたときのような感覚。こういう感覚は久しぶりで、ただ描かれる少女によって感傷的な気持ちになっただけかもしれないが、してやられたと感じた。しかも作者は、私が椎名誠の私小説を思い出すほど、自然を前面に押し出して書くことによって、後半の物語展開が鮮烈に描かれる。

また順序が逆になったが、この物語が、主人公の出生前、両親の結婚から描かれることも意外であった。やはり、この始まりも後半に効いてくる。

というわけでこのようにかなり緻密に練られた仕掛けが、効果的で、こういう風に書けるのかと生意気にも思った。
なんとなく

向いてはいないけれど、選ばれた。そうつぶやいては虚栄心を自分でくすぐり、自身の糧にした。

なんて書かれていると誰に向けて発せられた言葉なのかと、少し考えてしまった。内容に作者自身の体験が見えるような気がするぶんなおさら・・・。外見からでは見えない屈強さを、この作品から感じられるぶんね。

しかし読みながら、最終ページの作者のポートレートと略歴が見えたのだが、『蹴りたい背中』が百二十七万部も売れたことが書かれているのを見てため息がでた。著者の端正な顔にため息をついたのでない。きっと。

夢を与える

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