サッド・ヴァケイション

『サッド・ヴァケイション』を観てきた。
この映画が青山真治の作品の続きであることを知ってはいたが、予習なしで観にいった。これを書いている時点で前作である『ユリイカ』は本のほうで読んでいる。『ユリイカ』は三島由紀夫賞を受賞している。私は青山真治の作品『死の谷'95』から彼の作品に興味を持ったので映画のほうは今まで観たことがなかった。
映画を観終わっって、ひどく恐ろしい気持ちになった。あまりにたくましい女たちを見すぎたためかもしれない。「すべてを包み込み美しく生きるゆるぎない女たちの物語」というコピーがあるが、なるほどそのとおりの映画だった。
『Helpless』、『ユリイカ(EUREKA)』とつながりをもつ『サッド・ヴァケイション』だが、『サッド・ヴァケイション』だけでも十分に理解できるようになっていると思った。といっても前作を観れば印象は変わっていくだろうと思う。実際、宮崎あおい演じる梢が、あの若さで「美しくゆるぎない女」になぜなるのか、わからなかった。しかし『ユリイカ』を読んでみるとその壮絶な体験(劇中にも簡単な説明がなされるが)を持っているが故に、「美しくゆるぎない女」になっていたとしても不思議ではない。なので『Helpless』を観れば、浅野忠信演じる健次の印象も変わるだろう。
劇中、健次は母に対して復讐を始めるのだが、この復讐がどこまで彼の思い通りになったのか、それが気にかかる。辻香緒理演じるユリは高島健吾演じる健次の異父兄弟に襲われてしまうが、それさえも考えていたと健次は石田えり演じる母の千代子に毒づくのだが…。
本屋によって『サッド・ヴァケイション』の小説をぱらぱらとめくってみたが、ラストは映画も原作も同じようだった。シャボンが男を笑うかのように降り注ぐのです。