ユメ十夜 

『ユメ十夜』を観てきた。

夏目漱石の『夢十夜』を映像化した今回の作品。夏目漱石の謎掛けに挑戦者として十人の監督が挑んでいる。実相寺昭雄、清水崇、松尾スズキ、天野喜孝、西川美和といった監督陣、なんと漫☆画太郎が脚色に参加していた。漫☆画太郎の脚色参加にはかなり驚かされた。彼の名前がテロップが出た時、これはただでは終わらないなと感じた(笑)。このバラエティと、漱石の『夢十夜』の組み合わせには映画好きにも、小説好きにも気になるものだろうと思う。
 
とりあえず私は『夢十夜』がどんな作品か読んでから映画館に足を運んだ。小説自体は以前に読んでいたみたいだった。でも内容はすっかり忘れていて、読みながら思いだしていった。小説自体は夢を扱ったものであるから、かなり具体的な記述があるかと思えば、漠としたまま話が終わってしまったりする。正に夢をそのまま記述したかの如くである(実際そうなのだろうか?)。そしてそれが楽しい小説である。深く考えることも出来るし、そのままシュールに受け取ることも出来る。分量自体岩波文庫だと四十ページほどで、すぐ読み終えることができる。
 
映画はプロローグから、小説通り一夜ずつ進み、エピローグで終わる。それでは一夜ずつ簡単な説明やら感想を書いていこうと思う。

第一夜目は、実相寺昭雄が監督をしている。私は彼の作品『姑獲鳥の夏』を観たことがあるだけである。だから『姑獲鳥の夏』の印象で、この一夜目を観ることになった(調べてみると『ウルトラマン』とか監督していてびっくり)。「時間」が一つのテーマなのだろう。外に見える場違いな観覧車、反時計周りに動く時計、舞台の上に立ったような家。これらから空間と時間の関係を示唆しているのだろうか。「百年」を画面余すところなく描いている。

第二夜目は、市川崑が監督している。彼の作品は金田一耕助シリーズが有名である。残念ながら彼の作品をしっかりと観たことはない。モノクロの世界で、坊主に挑発を受け、武士が悟りを開こうとしているのだが・・・。二夜目は原作自体、筋の通った作品なのだが、市川崑はそれに対して正攻法に挑み、正攻法な答えをだしている。意外とこういう答えの方が出しにくいと思うのだが・・・。この監督はそういう人なのだろう。武士役のうじきつよしがとても良い。

第三夜目は、清水崇が監督している。しかしいわずと知れたホラー映画の監督である(『呪怨』とか)。彼の作品も観たことはない(そもそも私は怖い映画が苦手だ。『叫』を観に行ったのはある意味奇跡なのだ)。三夜自体『夢十夜』の中でも不気味な要素が多いものを彼が監督するのだから怖くないはずがない。また彼は三夜を、執筆時の漱石の家庭状況から映し出し、愚直にかつ鮮やかに三夜を紐解いている。ただ怖いだけではなかった。堀部圭亮も良いけど、香椎由宇の漱石の妻役がやっぱり気になる。子持ちの役なのに違和感なかった。着物姿も美しい。

第四夜目は、清水厚が監督している。残念ながらほとんど彼のことを知らない。しかし『エコエコアザラク』なら聞いたことはある。ホラー物だと記憶している(調べてみるとホラー漫画が原作で何度もテレビ化されているようだ)。清水厚は第四夜を思い切って脚色して原作とは一味違うの物語を形成している。しかし原作を読み返してみると、四夜は人の居場所、所在、存在について問いかけているように読めなくもない。そのように考えれば「神隠し」、「思い出」といったものが前面にでることは不思議ではないのかもしれない。

第五夜目は、豊島圭介が監督をしている。彼のこともあまり知らないが『ユメ十夜』の公式サイトによると『ケータイ刑事 銭形シリーズ』を手がけていたりするらしい。どうやら清水崇とも競作したり、同じ映画製作会社に所属?しているようだ。つまりホラー映画も撮る監督なのである。この五夜目は原作では「神代に近い昔の話」が、人の持つグロテスクな精神、深層心理を描くものとなっている。それを演出するために五夜目は生々しさが目立つ。「天探女(あまのじゃく)」は人の持つ精神の影としてその姿を現し、劇場を戦慄させる。こうまでも人間の精神とは醜くもあるのだろうかと疑問に思うと同時に、そうだろうなと肯定している自分がいた。

第六夜目は松尾スズキが監督をしている。松尾スズキについてはそれなりに知っている。小説を書いたり、劇団していたり、俳優したり、監督したり多才な人だなという印象を持っている(一夜目にも役者として出演している。『恋の門』の監督をしていたとは知らなかった!!)。正直この六夜目にはかなりの衝撃を受けた。原作をしっかりと踏襲しているのにも関わらず、演出?によって全く新しい作品となっている。これが松尾スズキのすごさなんだなと感動していた。ブレイクダンスを踊りまくる運慶、劇場に響き渡るサウンド、飛び交うスラングな現代語、その勢いは最後まで止まることはない。また六夜目はずっと画面下に英語のテロップが台詞にあてはめられていた(ちなみに第七夜は全編英語である)。漱石は英語が堪能であったろうから英語で不可思議な夢を観ることもあったかもしれない。それにしても面白い作品であった。松尾スズキの他の作品も観て、読んでみようと思った。

第七夜目は、天野喜孝・川原真明が監督している。天野喜孝はファイナルファンタジーのイメージイラストが有名である。川原真明については正直よくわからない。『ユメ十夜』の公式サイトによると映像ディレクターとして活躍しているらしい。アニメーションで描かれる七夜目は、映像の鮮やかさとは違い、深い深い孤独が描かれる。これは漱石の孤独な留学体験を意識したものなのだろうか、全編英語の台詞がそのようなことを考えさせた。意思の疎通が出来ない船員の巨人たち、不安におびえる少女が船でうまく立ち回れるようになる姿。原作より明確なテーマをもつことによってわかりやすいものになっている。

第八夜目は、山下敦弘が監督している。最近彼が監督した『松ヶ根乱射事件』を観たばかりである。『松ヶ根乱射事件』では淡々と日常を描くことによって人のいやらしさを描いていた。しかしこの八夜目では導入から抽象的な映像を用いてその後に物語を進めていく。正直この導入でかなり混乱させられた。しかし導入の映像が漱石の夢、空想だとするならば、結末に起きた事態は夢の現実化ということになるのだろうか。それともそれでさえメタ化された漱石の夢なのか。『ユメ十夜』のなかで私にとって一応の答えが出せない作品であった。

第九夜目は、西川美和が監督している。『ゆれる』の監督として私は彼女の名前を知った。戦が家族を引き離そうとする。それを恐れる妻。お百度参りをするなか蘇る記憶にその愛の真実を知る。原作の子供の「あっち」や「今に」という台詞の意味をよく解釈しているなと思った。他の監督もそうだが、一体どのくらい読みこんだんだろう。原作のイメージ、構成から離れることなくしっかり妻の愛を描いている。愛の優しさと怖さを描いている。

第十夜目は、山口雄大が監督している。前述したが漫☆画太郎が脚色をしている。『ユメ十夜』公式サイトによると山口雄大は漫☆画太郎とタッグをよく組んでいるらしく、『地獄甲子園』などを映画化しているらしい。完璧なギャグである(笑)。豚は牛丼となり、牛丼はお笑いトリオであった(笑)。平賀源内は「売れない発明家」としてでてくるし・・・もう笑うしかない(苦笑)。あと松山ケンイチがとても気になった。彼の今後に期待(『神童』は観に行く予定)。しかしこの十夜が最後になることで『ユメ十夜』に対する印象が明るいものになっている思う。十夜がホラー系になっていたら、暗い印象を持っていたことだろう。私は救われた(笑)。

と第一夜から第十夜まで簡単な感想と説明をしてみた。どうでもいいけどニュースで運慶の作品が発見されたとか。