年を重ねる

 小学生の時、友人の家に遊びに行くと、隣の家の飼い犬が無駄によく吠えた。友人はそのあとその家から引越しをした。通学などに使う道ではなかったので、その飼い犬をみることは少なくなった。
 今日、図書館からの帰り、その道を通った。飼い犬はまだ生きていた。前のように吠えるのかと思ったが、吠えることはなかった。足元を気にしながら、こちらの方に寄ってこようとしただけであった。飼い犬は老いていたのだ。間違いなく老いていた。
 
 市の広報を見ていたら、私の通っていた小学校が紹介されていた。小学校の資料が小さな字で書かれていた。クラス数が挙げられていたが、そのクラス数は確実に減っていた。私が通っていた時は、学年三クラス編成であったが、今は二クラス編成であった。子供の数は減っているのだ。確実に。
 
 成人式で市長は「あなたたちが子どもから大人になるように、この町は合併によって子どもから大人なる過渡期である云々」といっていた。その時私は怒りを感じた。では今までの町政やら村政やら市政は子どもの行いであったのか。もちろんそれは比喩なのだろうが、良い比喩ではない。

 
 私がいるこの場所は老いている。もしくは私が老いたのか。「老いる」という言葉をつかうような年ではないが、年を重ねた。歴史は蓄積するものではなくパラダイム転換なんていったて、日々を生きる人にとっては何も変わらない。言い方を変えただけだろう?もちろん「老いる」と平行して「若さ」も育まれているのだろう。その実感を感じにくい環境に身をおいているから、ちょっと悲観的な文章になってしまったか。