叫

 『叫』を観て来た。
(追記20080722)
『「ゼロ年代の批評」のこれから──宇野常寛さんロングインタビュー - 荻上式BLOG』という記事を見ていたら(途中までしか読んでないが)、この作品に対して少し書かれていた。廃墟の描き方から世代論にまで話が広がるのをみて驚いた。そして、思い出した。私がこの作品で気になったのは、主人公の役所広司の煙草だ。彼の煙草の銘柄がマイルドセブン スーパーライトだったり、キャビン マイルドだったりする。自分の吸う煙草に頓着がない刑事…。確かにそれが役所広司の演じる刑事の性格設定のためのものなら問題ない。事件のために精神的に追い詰められている刑事にとって、煙草の銘柄など関係ない、ニコチンによる精神安定だけが問題になる、という設定なら。少なくともそういう人はいるのだろうから。
 私はこの点が気になった。
 実際もっと気になったのは、オダギリジョー演じる精神科医が、役所広司から事件の原因と思われる出来事―超心理学的出来事を話し、「そんなこと…」と理解と無理解の間で煩悶し、かつ肯定的な態度を取ったところである。ここでこの物語が、ただのホラー映画なのか、それともあくまで心理学的な映画なのか、と当時から考えたりする。たまに。