2018年9月24日/ホモ・ルーデンス

深町秋生の「インジョーカー」は外国人技能実習生の問題を扱っている。一方、ジェームズ=モンタギューの「億万長者サッカークラブ」は中東の出稼ぎ労働者のカファラ制度を取り上げている。どちらも現代の奴隷制度と言われている。
ふと、古代ギリシアの哲学者たちは奴隷に労働を任せることで哲学に勤しんでいた事を思い出す訳だが、上述した現代の奴隷制度を論ずるより前にグローバル化による搾取する側とされる側の問題は以前から成立していると回答に辿り着き、手に余る話だという結論に至る。
話を整理しよう。
まず、現代の奴隷制度として批判される制度がある以前から搾取する側と搾取される側の構造は存在する。
また、搾取する側とされる側という関係性を何を以て定義するのか、搾取とは何かという問題が発生する。
そして、そのような状況下で成立している現代の哲学と古代ギリシアの哲学を比較することに意味があるのか、比較する事が可能になのかという問題が発生する。

ジグソーパズルの最後の1ピースが足りない。そんなことってあるだろうか?等と言ってみると、むしろ有りがちな、ごくごくありきたりなことではないかと思えてくる。
元来、私はジグソーパズルに取り組む趣味は無い。小学生の頃、姉がジグソーパズルにハマり、一時期はかなり大きな作品に取り組んでいる横でちょっかいを出していた記憶があるのみである。
そんな私がジグソーパズルに取り組んでいるのは余りに暇を持て余していたこと、作品の完成による達成感で精神衛生の向上を図るためであった。仕事用の道具を購入するため大型ディスカウントストアを彷徨っていると、店内改装で目的の商品の位置がわからなくなっていた。別に慌てる事もないと、試しにオモチャコーナーを回ったところ、ジグソーパズルの棚があった。煌びやかなディズニーのパズルも凝ったものでなかなか良い。購入を迷っていたところ、300ピースのコーナーに木製のムーミンの挿絵のジグソーパズルを発見する。これなら部屋の隅に飾られていても違和感は無いだろう。
私はジグソーパズルを枠組と共に購入して帰宅した、その後、アルコールやらコーヒーやら煙を飲みながら適当にジグソーパズルに取り組んだ。適当な記憶を辿り、確か端の部分からピースをはめて行く。面白いものでピースをサクサクとはめて行くことが出来る時もあれば、全く該当するピースを見つけられない時もあった。

土曜日の郊外。山を彩る樹々の葉。乗車した電車ではハイキングスタイルの老若男女が所々に見つけることができた。

私は氏名を名乗った上、名刺も渡しているのにも関わらず、相手は名前を言わず名刺を渡すことも無い。情報の非対称性が即ち相手との権力関係を物語る。

スマートフォンが示すがままにバスを利用したところ、降車するバス停は「××高校前」となっている。降車した目と鼻の先には校門があり、高校生が出入りをしている。夏休みももう終わろうとするなか悔い無く過ごせ若者よ等と勝手な事を考えながら坂道を登ると雨に降られた。

勝田文のモーニングでの読切「オセロ野郎」を読む。オセロの盤上と黒と白をモチーフにした人物が登場する。何度か読んだところ、直接的な表現は無いものの、迷えるアラサーの男女の関係をしっかりと描いた物語であった。

仕事で客先を訪ねたところ、職員間で情報共有が明らかにできていない状況である事が判る。どうにもならん等と内心思っていたが、さすがにこれは不味いと思ったのか、後日客先の事務方から追加の報告があった。

時折り、実家方面に向かう仕事がある。使い慣れた電車に乗り、変わった風景と変わらない風景の間で時の流れを感じる。ふと、あの時、この風景を眺めていた自分が想起されるものの、それは今私が懐かしさに作り上げた改竄された記憶でしかないはずだった。あの時、私は毎日眺めるこの風景に対して飽き飽きしており、幾度かは悪辣な言葉で罵った事もあったはずなのだから。

婚活アプリで女性の趣味等を眺めていたところ、読書好きな女性はサリンジャーやブローティガンを読んでいた。さすがにピンチョンを読んでいる人を見掛けることは少なかった(全くいなかったという事は無い)。サリンジャーは「キャッチャー イン ザ ライ」以降読んでおらず、GRAPEVINEが「フラニーとズーイ」をモチーフにした「フラニーと同意」という楽曲を聴いて読もうと試みたことがあるだけだった。これも良いきっかけかとネットで検索したところ電子書籍が無かったため、本屋に赴いた。せっかくだからと購入していなかった「jazz the new chapter」の4と5、三巻以降が電子書籍化されずに読めていない「航空宇宙軍史 完全版」の文庫全巻、「村上春樹の100曲」、「兵士を救え!マル珍軍事研究」、「新版 論理トーレニング」を購入する。私にとっては久しぶりに高い買い物になった上、本は重かった。

村上春樹訳の「フラニーとズーイ」を読み進めたところ、なるほど面白い。「キャッチャー イン ザ ライ」の青年の過剰な語りにはうんざりしたが、「フラニーとズーイ」等のグラース家の物語には興味が持てそうだった。「フラニーとズーイ」では青年期の精神的破綻の兆候とロシアの巡礼者の物語とキリストに対する信仰が東洋思想と共に語られる。そして物語は意外にも素朴な落とし所を用意しているのだった。
その後、サリンジャーの「ナインストリーズ」を読み終え、文庫本の『「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」「シーモアー序章ー」』と単行本の『「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」「ハプワース16 1924年」』を購入した。このまま一気にサリンジャーを読んでしまおうと思う。

午前中に仕事を終え、携帯電話に客から電話が入っていた事を言い訳に喫茶店に寄って時間を潰していたところ、冗談みたいな大雨が降り出した。

電車に入ると微妙な匂いがする。後続の高校生たちが「うわ、臭い」「おい、お前屁をこくなよ」等と言い出したため、思わず笑ってしまった。

「ロックマンX アニバーサリーコレクション1」を購入し、プレイを始めた。私は「ロックマンX」、「ロックマンX2」に関してかなりやり込んだという自負がある。しかし、その後RPGばかりやるようになりアクションゲームから離れてしまった。失われた過去を取り戻す私の戦いが今始まった…

2018年8月20日/如才無い故に所在無い

マンションに挟まれた古びた一軒家。モルタルの壁には共産党のポスターが掲示されている。
以前、一軒家の主と思われる老人がスーツに身を包み片手にノートパソコンを持った男性に熱心に声を掛けられていた。土地の売買の交渉だろう。元は一軒家の一階には工房があったと思われるものの、現在は物置小屋になっており、孫の遊具が開いた扉から垣間見ることができた。
その一軒家が八月に入り、遂に解体されるに至る。解体された一軒家を下敷きにして鎮座する巨大な重機。掲示された工事名称を確認すると「××荘」とある。つまらないアパートができる。瞬く間に変わる東京の風景。ありがちな決まり文句が浮かぶ。

山田花子がハイジャック犯に捕まり、木棺の中に閉じ込められてしまう。
ハイジャック犯は故障した航空機の格納庫に木棺をしまう。
空港を飛び立つ飛行機だったが、故障故に床が抜けて木棺は上空から落下してしまう。
万事休すかと思われた山田花子。しかし空になったバックパックをパラシュート代わりに山田花子は無事地上に帰還したのだった。

人も獣も人語を解して交流する世界。一匹の雄猫は人間と距離を置き生活していた。ある雌猫がその態度の意味を問い掛けると雄猫はこう答える。「例え猫と人が交流したとしても子は産めない。そうやって猫という種族とその生、自らの生が、生きほぐされることに我慢がならない」と答える。

夢とは不思議なもので山田花子にアクション映画の主演を強き、「生きほぐされる」という使用したことも、辞書にも載っていない言葉を提示してくる。

生きることがほぐされる。猫としての生が人と交流することで異なる在り方に変質してしまうという雄猫の怒り。言いたいことは判るものの、随分保守的な考えではある。そもそも設定がイマイチなのではないか…夢に対して批判を繰り返してもしょうがない。

真夏の宇都宮の仕事での帰りがてら、駅前の餃子屋に寄り、水を数杯飲みながら餃子を待つ。隣に座る新幹線の乗車券を持った中年の男性が時折苦しそうな呻き声を上げながらビールをあおっている。あまり気分の良くない座席だと思いながら、ぼんやりと路上を眺める。

指定の座席に座ると蝿がヘッドレストの頭部で羽根を休めている。手を擦り、羽根を動かして整え、後ろ脚を擦り合わせる。果てしてここまで身繕いする蝿を観たことがあっただろうかと思い、笑ってしまった。

ラックから情報誌を取り出すと仙台に関するアニメと漫画に関する特集が組まれており、ジョジョの奇妙な冒険の話題も含まれていた。その他にもアニメ作品が言及されていたものの、興味が無かったために作品名を思い出すことができない。ページを戻し、表紙に見掛けた沢木耕太郎の旅に関するエッセイを読む。どうやら金沢に開通した新幹線に端を発するエッセイらしい。以前、駆け出しだった沢木耕太郎がインタビューを実施し、苦手意識すら持っていたザマス口調の女性の魅力を再発見したところで、エッセイは次回に続く。

ぼんやりと外を眺めていると、行ったことがない母校の他学部のキャンパスを見つける。線路沿いを歩く大学生は学部は違えど後輩になるらしい。思えば、客先に運ぶ時間が早かったり、遅かったりする時、学生と共に通学路を歩くことは多々ある。彼や彼女を眺めていると、何やら当時の何者にもなりきれない、モラトリアム特有の心情ー私にとってそれは苦痛でしかなかったを思い出す。更に言えば、私の誤算は会社に勤めることで自立して苦痛から脱却できると考えていたことだろう。しかし苦痛から脱却するには自ら大人になるしか無かったのだ…と考えながら的確に言葉を選んで語るとことは難しいなと思う。

大学生の大袈裟なジェスチャー、それに応える笑い声が駅構内に響く。

ロシアワールドカップが開催され、ネットで試合結果やダイジェスト映像を眺めた。昨今、サッカーに興味を覚える事は無かった。しかしながら日本代表ハリルホジッチ監督のワールドカップ直前の突然の解任が私に興味を惹かせた。サッカーに詳しい友人でさえ突然の解任の理由は判らないらしい。報道によれば選手との信頼関係が問題らしい。いかにも日本らしい、曖昧な理由に思わず辟易させられたのはさておき、突然の解任に対するSNSにおけるあるサッカーファンの声明を幾つか読む事になった。当初、スキャンダルを追い掛ける野次馬以上の興味は無かったものの、現代サッカーの高度に構築された戦略性と戦術性を理解するハリルホジッチ監督の成果を示す機会が失われたとする声明に非常に興味を覚えた。その後、速水健朗がTwitterで薦めていた「日本サッカー辛航記」「億万長者サッカークラブ」「砕かれたハリルホジッチプラン」を読んだ。当初は「砕かれたハリルホジッチプラン」を読むことが目的だったが強烈な印象を残したのは「億万長者サッカークラブ」だった、

八月の半ば、人が疎らになり、気持ちの良い風が吹き始めた。そして、何か物悲しい気持ちになる。

児童館の校庭で遊ぶ子どもたちを眺める。大人の庇護の下、思い思いに遊び、時間をもて余している子どもたちが眩しい。

台風から逃げるように都内から内陸部にレンタカーで移動する。奥穂高岳に雲が掛かっているものの、平野部は快晴だった。仕事を終えて都内に入ろうとすると土砂降りと渋滞に巻き込まれる。相模湖インターチェンジで発生した事故渋滞に巻き込まれたらしい。高速バスが車体の右側を通り、ラジオの音が途切れる。ラジオDJはリスナーに対して早めの帰宅を控えめに伝えている。

少年が蚊に刺されたふくらはぎを掻く。

地下の厨房の床には透明のゴミ袋が置かれていた。ゴミ袋の中には玉ねぎが入っており、複数の羽の付いた虫が袋の中を這っている。袋を見つめながら何故俺はこんな場所にいるのかと思う。

チェーンレストランで会計を済ませようとする男性が店員に外の天気を尋ねる。女性店員は雨が降り始めたことを伝えてその場を去る。

深町秋生の「ドッグ・メーカー」「オーバーキル バッドカンパニー2」「インジョーカー」を読み終える。ドッグ・メーカー以外は続編だが、面白く読んだ。

帰宅後、10分間程のランニングをしてみたところ、非常に気持ちが良い。何より自由な心持ちを得られるのが良い。

安田峰俊の「境界の民」を読んだところ、非常に面白かったため、続刊を読む進めようと思う。

2018年7月1日/直接には関係せず影響を及ぼす

ふと空を見上げると雲の合間の月が眩しい。

梅雨が明けた翌日の夕方、ランニングに出掛けると蝉の鳴き声が聴こえた。

駅のベンチの前で横になる男性と、男性を囲む警察官を車窓越しに垣間見る。

平野啓一郎の『ある男』を読み終える。長編ではあるが前作の『マチネの終わりに』より短編集『透明な迷宮』を読んだ時の印象を抱いた。おそらく、様々なテーマを巧妙に継ぎ接ぎしているのが短編集を思い起こした原因かもしれない。そして、ある種の不可思議さと不気味さを多く負っている事も原因だろう。本作においては、戸籍の交換が物語のキーになっており、物語の主人公とも言える弁護士はその謎を解く「探偵」の役割を担っている。なるほど、戸籍の交換は人間の存在の確かさを揺るがすものであり、不安や不気味さの遠因となり得る。
登場人物として不気味さを体現するのは戸籍の交換を仲介していた男性であろう。卑猥で差別的でもったいぶった台詞の数々は嫌悪の感情を抱かせてくれる。トリックスターとしての魅力は十分にある。
しかしながら、本作の不気味さの直接的な原因はこれらでは無いと思える(間接的な原因が別にあると言い換えても構わない。要は人生に対する考え方次第である)。それは自分自身と生活、「私の」人生そのものが日々の選択と選択とも呼べない言動により奇跡のように成立しているという事実である。それは普遍的で当然の事であるため、私自身、的外れな事を言っているのではないかと思える。
なお、以前に自らを客観的に証明する方法を考えていた時に読んだ橋本一径の『指紋論 心霊主義から生体認証まで』を本作を読みながら思い出した。

2018年6月17日/印象

学校で学んだ文学作品で印象に残るのは、山月記の他に夏の葬列が挙げられる。
中学校の選択科目の授業で教師が取り上げたのが、山川方男の夏の葬列だった。授業は時間を掛けて精読するというより、読んだ感想を語り合うものだったと記憶している。当時、何を思ったのかは定かではないものの、白い雲、青い空、緑葉、白いワンピース、そしてワンピースを染めたであろう赤い鮮血…そのイメージだけが明瞭に残っている。

ベッドに投げ出した衣類をサッシの縁に掛けて窓を開ける。朝方の陽射しの気持ち良さに、思わず窓を開けて床に腰掛ける。妻は部屋の奥に向かい、小さな子どもは覚束無い足取りでおもちゃを手に持ちながらこちら見ている。どうやら自分の子どもらしい。俺は余りの幸せにポケットから燃焼式の煙草を取り出して吸おうとする。

夢の余韻をベッドで楽しみながら、これが私が思う幸せなのだろうかと考える。そして、先日に見た悪夢を思い出そうとするものの、悪い印象しか蘇らなかった。

増え過ぎた体重を元に戻そうと減量を試みている。

梅雨入り明けの月曜日、家を出て目に入ったのはコンクリートブロックの上で雨に濡れる赤い折り紙で作られた顔の無い鶴だった。小さな路地を進むと肥満体の男が現れる。路地を抜けると雨合羽を着た原付バイクが目の前を横切った。

ドレスアップした女性が数少ない座席を譲り合い、誰も座ろうとしないため、じゃんけんを始めた。結局、ある女性が席を1つ移動して3人は横並びに座ったのであった。

菊地成孔の音楽を改めて視聴してみると思いの外良く馴染んだ。

2018年上半期の音楽

2018年上半期に聴いた音楽を以下の通りまとめた(→2017年の音楽)。
最近は金欠になり、音楽を購入して聴くことは無くなっている。定額制の音楽配信サービスも利用していない。
とは言え、今まで聴いてきた音楽を改めて聴く機会が得られたと思うことにしている。

Hiroki Ono (Electronics), Ryoko Ono (Alto Saxophone)『NEWDUO series 004』


木魚のリズムに絡まるアルトサックスと電子音の叫び。最高である。


児玉桃『メシアン:幼子イエスに注ぐ20のまなざし』

信仰の本質は祈りであるとはよく言われることである。では何に祈るかと言った時、偶像では無い何かしらの概念という事になる。散らばった音は直観に訴え、統合されて1つの概念として目の前に現れる。


濱瀬元彦『樹木の音階』


樹木の音階

樹木の音階

  • 濱瀬元彦
  • ジャズ
  • ¥1650
迷いの森を彷徨う電子音楽。


濱瀬元彦『テクノドローム』

Technodrome

Technodrome

  • 濱瀬元彦
  • ジャズ
  • ¥1650
End Of Legal Fiction

End Of Legal Fiction

  • 濱瀬元彦
  • ジャズ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
擬制の時代の終了。



Tortoise『The Catastrophist』

The Catastrophist

The Catastrophist

  • Tortoise
  • オルタナティブ
  • ¥1800
The Catastrophist

The Catastrophist

  • Tortoise
  • オルタナティブ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes
歌物有り。


9mm Parabellum Bullet『インフェルノ - Single』

インフェルノ

インフェルノ

  • 9mm Parabellum Bullet
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
ベルセルクのオープニングテーマ。1分30秒の衝撃。


鷺巣詩郎、伊福部昭『シン・ゴジラ劇伴音楽集』

シン・ゴジラ劇伴音楽集

シン・ゴジラ劇伴音楽集

  • 鷺巣詩郎 伊福部昭
  • サウンドトラック
  • ¥2100
M20_CH_alterna_04/共闘

M20_CH_alterna_04/共闘

  • 鷺巣詩郎 伊福部昭
  • サウンドトラック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
Who will know (24_bigslow)/悲劇

Who will know (24_bigslow)/悲劇

  • 鷺巣詩郎 伊福部昭
  • サウンドトラック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
エヴァの音楽がゴジラで流れる。エレキギターバージョンで痺れる。なお、そもそも元ネタは007のゴールドフィンガーのBGMである事を今更知った。



電気グルーヴ『MAN HUMAN - EP』

MAN HUMAN - EP

MAN HUMAN - EP

  • 電気グルーヴ
  • エレクトロニック
  • ¥1000
今夜だけ

今夜だけ

  • 卓球と旅人
  • エレクトロニック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
「今夜だけ」で宇宙に行ける。


佐藤千亜妃と金子ノブアキと小林武史『太陽に背いて』

太陽に背いて

太陽に背いて

  • 佐藤千亜妃と金子ノブアキと小林武史
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
上半期で一番聴いた。酔う程聴いた。


Claudio Rocchetti 『Goldberg Variations』


アンビエントヤクザこと id:yorosz がTwitterで紹介していたバッハのゴルトベルク変奏曲のコンクリートミュージックバージョン。面白い。
ちなみにブラッド=メルドーのアフターバッハはきちんと聴いてない。

2018年5月20日/変身譚

死ぬこと以外に人間を辞める方法を考えると、山月記における李徴は虎になれて良かったのではないか。李徴の不幸は虎になった後、人間として意識を保っていたことである。人間として意識を保っていたのは、物語が成立するための要請であり、李徴が人間であった自分を反省するための要請でもある。李徴は自らが虎となった理由を人間であった頃の自らの精神性に由来すると考え、当惑した上で以下のような考えを思い付いては呟き、直ぐに捨て去る。

「一体、獣でも人間でも、もとは何か他ほかのものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんな事はどうでもいい。」中島敦 山月記より引用。

2018年4月30日/変身譚

「気が付くと(省略)既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」中島敦 著「山月記」より。

ふと、中島敦の山月記を出勤中に読んでいたところ、上述の引用部を読んで思わずため息が出てしまった。学校の授業を経験した後であれば「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が何たるか問われたことを思い出すものの、上述の一文のことは全く忘れていた。カフカの「変身」におけるグレゴリー=ザムザは自らが虫になったことを問わない一方、上述の主体である李徴は虎になったことを恐れながらも虎になった不条理を受け入れてしまっている。

今日はおそらく満月なのだが薄い雲が空を覆っているために拝むことができない。

2018年4月18日/春の功罪

オレンジ色の夕陽が沈もうとしている。しかしながら、茨城県の片道一車線の高速道路の渋滞に巻き込まれている状況のため、余り完璧なロケーションでは無い。美しいと感じるのは自らの慰めのためでは無いかと思われた。

オレンジ色の夕陽が美しいのは孤絶しているためであり、孤絶しているが故に人を肯定しているようにも思えるのでないか。人は必ずしも関わり合いになることだけで肯定を得られる訳で無く、距離を置くことで肯定されるのではなかろうか。私と夕陽は限りなく断絶されている。陽が沈み辺りは暗闇に包まれた。しかしながら、陽はまた昇るのである。

岡山行きの新幹線に乗り、一ヶ月前の出来事を振り返ろうと試みて、スマートフォンを手に取る。新幹線の指定席が満席である事が告げられる。車両の各所に座る外国人観光客の言動は他から浮き上がって見える。

医師の診察が終わるまで待合室で過ごす。診療時間を過ぎた待合室には誰もいない。そこに小さな子供を連れた女性が入室する。医師が診療室から顔を出し、子供を招くと子供は母親の後ろに隠れてしまう。先生に対して挨拶するよう母親は子供に促している。

オルゴールでアレンジされた音楽が鳴り続ける待合室。事務員も子どもの対応の為に診療室に赴いている。待合室で書類を確認しながら、自らの仕事の意味をぼんやりと考える。私の仕事は常に事後の確認でしかない。一方、医師はあの小さな子どもの将来に寄り添うことができる。別に医師になりたかったという訳ではないし、なりたいとも思わない。しかしながら、職業を選択する時、将来や未来に直接寄与する在り方を検討する必要があるのかもしれない。

客から督促の連絡が入る。事務方の都合上から休日に仕事をするしかない。土曜日は午前中に仕事が入っている上、午後には友人と上野で花見を予定している。なかなかタイトなスケジュールだと思う。

仕事を終えて電車を乗り換える。休日の外出を楽しむ人々が羨ましい。

友人と上野で花見をする。以前は毎年していた花見は紆余曲折を経て久しぶりの実施になった。桜は既に散り始めていたものの、場の喧騒は以前と変わらないように思えた。一方で集まった友人とも語り合う話題が事欠いていているようにも思えた。誰もが傷付かずに話題にできる話はとうに無くなってしまったのだと思う。

荒川沿いの桜並木に集まる人々に混じりながら駅に向かう。老人、小さな子どもを連れた母親、若い男女が見受けられる。川を下る船、岸の向こうの高速道路を車両が急ぐ。異なる時間がそれぞれの場所で流れていく実感を得る。

昼間の電車の人の疎らな車両の端で、中年の男性が大きな声で何事かを語っている。珍しく私はイヤフォンをしていなかったものの、走る電車の音が男性の話す内容の細部を掻き消して行く。見て見ぬ振りをされる男性は二駅程で車両を降りて行った。

デヴィッド=ギルモアのTシャツを着た外国人男性が新幹線の座席で右往左往している。ここは熱海と新富士駅の間、三島駅である。今日はとても暑くなると同僚たちが話していた。暑い四月である。

天気が悪い時に限って外回りをすることになる。仕事を終えてコンビニの軒先でぼんやりしていると小さな制服姿の子どもを連れた若い男女を多く見掛ける。どうやら卒園式があったらしい。

記憶を遡る。

診察室に掲げられたテレビに流れるパラリンピックの映像。一本のスキー板とストック二本で上半身を制御して失速せずにカーブを曲がる選手たち。日本人の選手のメダルが決まったことが判った。

有料の出会い系サイトを使用した後、婚活マッチングアプリに有料で加入した。プロフィール欄を任意の部分を含め全て正直に埋め、尚且つ数少ない顔写真も載せた。仕組みはこちらが女性に対して興味ある旨をポイントを使用して伝え、相手から了承を貰った後、メッセージの交換が出来るというものである。とりあえずこちらからアクションを起こさなければ始まらない。女性のプロフィールを熟読しながらポイントを使用していった。おそらく100人近くに興味がある旨を伝え、了承を得られたのは10名程だった。ある程度の予測はできたことであるが、女性に取捨選択されることで自らの価値が判り、客観的になることができるシステムだと思う。また、女性たちのプロフィールを眺めながら、思った以上にハイスペックで一般的に魅力的と言われるであろう女性が多いと思った。
その後、複数回のメッセージをやり取りした後、女性と会うに至った。少なくとも出会いを求めるのであれば、婚活マッチングアプリを使用することは一つの手段として有効だと思われた。

2018年3月2日/オーバードライブ(所持金の下限)

午後11時、残業からの帰りにデジタルサイネージで戯れる石原さとみをぼんやりと眺める。何を話しているのかとスマートフォンを取り出して広告の動画を視聴したところ、石原さとみが東京マラソンの選手を応援する言葉を考え、画面越しに頑張ってと声を掛けてくれるというものだった。それはともかく、どうにも耳に残ったBGMを調べたところ、歌い手は佐藤千亜姫と金子ノブアキと小林武史となっており、題名は「太陽に背いて」とある。なるほど、歌詞を聴けばメトロでの出会いを歌っているようにも解釈することはできる。ベタにジャジーなリズムが気に入り、何度も聴いている。

友人の営業を信頼して保険を契約しているが、最近の仕事の成果が悪かったこともあり、収入に対する支出が多過ぎて金欠になった。正直、病気にならなければ割に合わないと思う。

金欠で新たな音源の供給が無くなったため、スマートフォンに入った音源をランダムで再生して気を散じている。学生時代に聴いたプログレッシブロックは再聴すると新鮮である。Pink FloydにInterstellar Over Drive という曲があり、そんな題名の曲だったのかと驚くが、シド=バレットの影響下にあるアルバムの為、ドラッグによる宇宙遊泳を指すのではないかと思う。

綾辻行人の暗黒館の殺人を読み終える。非常に長い作品だが館シリーズにおいて非常に重要な作品であった。金欠になった手前、今後は余裕ができるまで積んでいた本を読み進めようと思う。

仕事で通っていた高校付近を訪ねることになる。帰りには両親が住む家も訪ねた。しかしながら、故郷とは遠きにありて思うものであった。

お金が無い程、空しく情けない気分になるものは無い。

2018年2月7日/出会い系

コンビニでIQOS本体が販売されていたため、購入する。ちなみにIQOSはフィリップモリスが販売しており、煙草のブランドはマルボロになる。煙草を燃焼させると香ばしいシナモンスティックのような匂いがあり、不味いし臭いというのが第一印象であった。また、普段は吸わないメンソール系を試したところ、燃焼した匂いとメンソールのにおいが相まって特に不快感が強い。とはいえ、使用を続けたところ、慣れてしまった。

コンビニでPloom TECHが販売されていたため、購入する。 ちなみにPloom TECH はJTが販売しており、煙草のブランドはメビウスになる。使用してみると水蒸気を吸っている感覚で匂いが無く、延々と吸い続けてしまう。

未だgloは使用していない。

石井ゆかりの星占いにさっと目を通してようやく今年というものを考える時間を得る。全く柄じゃないが。

無料の出会い系アプリを試した。概ね私が使用したアプリの構成はオープンな場所からコンタクトを取り、互いにしか見えないチャットへ移行するというものだった。一応、アイコンは自画像を使用したが、結局チャットとは言えコミュニケーションであり、相手の返事を待つのが煩わしく進展は一切無く、自らの不甲斐無さが良く理解出来た。

山田洋次の隠し剣鬼の爪とたそがれ清兵衛を再視聴した。どうしてもたまに観たくなる作品である。

日曜日の早朝からレンタカーで群馬県まで向かう。営業所に集まり行楽に心高ぶらせる若者の集団が眩しくも煩わしい。

雪が降った。さっさと帰れば良いものをだらだらと仕事を続けた結果、時間間隔の調整を各駅で続ける電車に乗る事になった。同僚の飼い犬の話を聞き続けたところ、犬の名前は「うどん」というらしい。笑ってしまった。

レンタカーを借りて都内から横須賀を越えて三浦半島に入る。

地下鉄の構内を薄化粧の女性が小走り、はらり、膝丈まで伸びたツイード調のジャケットのセンターベントがめくれベージュの下地を垣間見る。

同業者と共に客先へ向かう。どうにも遠回りな説明をする専門職、直裁で展開しない尋問にも似た質問をするもう一方の専門職…貧乏くじを摑まされていると思う。

寒さの為か、スマートフォンの電源が落ちた。地図アプリの誘導を失い、念の為に印刷した地図を片手に静岡市街をさまよう。

有料の出会い系サイトを使用した。セックスを誘う女性は概して最後の交渉で援助と称して二万円を要求してくる。風俗に通う友人の説明するところによれば、二万円があればそれなりのサービスが受けられると言う。市場が変われば相場は変わるといったところか。有料であるから、女性に興味を持てば課金が必要になる。サイトによっては、女性はメールのやり取りを何度かすれば、得をする仕組みなんてのもあるらしく、やり取りが途中で終わるのも珍しくない。未だ女性と出会える気配は無い。

2018年1月10日/新本格ミステリー・ダーティハリー・三連休

綾辻行人の館シリーズを読み進めている。現在は第四作目「人形館の殺人」まで読み進めた。「人形館の殺人」において、梅沢事件なる説明があり、史実かと思いネットを検索したところ、島田荘司の「占星術殺人事件」が元ネタであることが判った。あとがきを読んだところ、ミステリーファンのための挿話らしい。この後、「占星術殺人事件」を読むことが決まった。

仕事柄、柄でもない場所に行き、事務職の管理職に胡散臭そうな目つきで見られることが多々ある。それは仕方無いことである。そこでヘマをやらかすと、それはもうあげつらってその場を離れるまで馬鹿にされてしまう。

三連休をひたすら眠り、腰を痛めながらダーティハリーシリーズを全て観終えた。父親が酒の肴にヘラヘラしながら観ており、その横でぼんやりと観ていたものである。改めて観ると、ダーティハリーことハリー=キャラハンはまともであり、作品の中怠みは逆に心地良いものであった。ハリー=キャラハンは自らの仕事について「新しい秩序が生まれるまで必要」と言った趣旨を説明している。おそらく新しい秩序は生まれなかったのではないか、「ノーカントリー」のようにコイントスのルールが世の秩序になってしまったのではないか。「グラン・トリノ」のように拳銃を捨てることになったのは、多分に後ろ向きな姿勢の中で生まれた希望なのではないかと思う。

『ゲンロン2 慰霊の空間』

東浩紀編『ゲンロン2 慰霊の空間』を読んだ。
読んだのが一年以上前になり、印象しか触れる気は無いのだが、面白かったのは哲学者カンタン=メイヤスーの著書『有限性の後で』に関する千葉雅也と東浩紀の対談「神は偶然にやってくる―思弁的実在論の展開について」だった。
しかしながら『有限性の後で』を読んでいない体たらくぶり。
次巻『ゲンロン3 脱戦後日本美術』を手に取り9/10は読み終えたのだが、如何せん読み終えることができないまま、ゲンロンの新刊に手を出せないでいる。
この辺りから哲学・思想・評論的な著作はほとんど読まなくなってしまったかもしれない。

ゲンロン2 慰霊の空間

ゲンロン2 慰霊の空間

  • 作者: 東浩紀,筒井康隆,中沢新一,津田大介,五十嵐太郎,市川真人,大澤聡,福嶋亮大,千葉雅也,海猫沢めろん
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2016/04/27
  • メディア: Kindle版
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ゲンロン2 慰霊の空間

ゲンロン2 慰霊の空間

  • 作者: 東浩紀,筒井康隆,中沢新一,カオス*ラウンジ,新津保建秀,津田大介,藤村龍至,渡邉英徳,黒瀬陽平,五十嵐太郎,ボリス・グロイス,市川真人,大澤聡,福嶋亮大,さやわか,千葉雅也,クレイグ・オーウェンス,速水健朗,井出明,海猫沢めろん
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2016/04/07
  • メディア: 単行本
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2018年1月2日/年の瀬の光景と新年の行動

乗り換えた電車で女性が座席に横になって眠っている。以前にも同じような光景を見たことがあったなと思う。

今年で約10kgの体重の上昇があったため、上司と共に年末に向けて減量を目標にしていたのだが三日坊主となり、体重が約3kg増えるという残念な結果になった。やはりジムに毎週通わなくなったことが大きい。問題は持ち前の怠惰さが前面に出ていることだろう。

今村昌弘の「屍人荘の殺人」を事前の仕込み無しで読んだのだが、クローズドサークルになる理由が本書を手に取る前の予想と一致していた状況だったため、面白さが半減したことは否めない。その後、新本格ミステリーというジャンルに興味が湧き、その元祖となる綾辻行人の「十角館の殺人」を読んだ。このまま館シリーズを全巻読破したい気分である。

仕事を納めた翌日の時間を睡眠に注いでしまった。

大晦日に起きると会社から支給されている携帯電話が鳴った。今年は仕事ばかりの1年だった。

大晦日は友人と年越し蕎麦を食べることになった。去年は深大寺の蕎麦となり、今年は麻布十番の更科蕎麦を食べた。行列に並ぶのは苦行だが店内で飲む熱燗は最高である。

2軒目の蕎麦屋の行列で先に並んでいたところ、目の前に並んだ家族が居た。その姉妹の一方がスマートフォンでドラマを観ていたところ、「パケットの無駄じゃん」ともう一方が咎め始めた。これに対して「えっ、皆50ギガずつでしょ。自分の経験を言われても…」と一方が返答したところ「お前は黙ってろよ」ともう一方が睨み返す。その後、家族のスマートフォンのパケット量の確認が始まる。年末の微笑ましい家族の光景に思わず笑ってしまう。

大抵大晦日の夜はさっさと寝てしまうのだが、今回は人の勧めもあり、近所の神社に初詣に行くことにした。境内に入ると出店の机で新年を祝う参拝客で溢れていた。人混みの中で過ごしていると若者のはしゃぎ振りが微笑ましいと同時に気分が冷めていった。このような心境をカラオケ店で年末休み無く働く友人に説明したところ「俺は年明け早々から酔った若者を相手にして来たんだけどな」とのことであった。

手を合わせども願掛けすることは無い。

スター・ウォーズ 最後のジェダイを観た。シナリオが不味過ぎなのではなかろうか。途中からその場面のみ楽しむように心掛けることにした。

年賀状が届いていた。

パソコンに向かってブログを更新する作業を続けている。

マチネの終わりに

平野啓一郎著『マチネの終わりに』を読んだ。

天才クラシックギタリストの男性と通信社で働く女性の恋愛を描いた作品。舞台は東京、バグダット、パリ、ニューヨーク。40代の苦悩や世界情勢や思想を絡めながら物語は進む。

当時は毎日新聞で掲載された後、noteに転載されるという仕組みになっていた。若手のアーティストとの競演が実施され展覧会もあった。当時は本書にどっぷり浸っており、当初はnoteで読んでいたものの、連載を先に読み進めたい余りに毎日新聞のアカウントを作成した始末。また、仕事終わりに展覧会にも足を運んだ。既に熱は冷めたが本書をきっかけにしてクラシックギターを聴く機会を得た。現在、平野啓一郎の作品を人に勧めるなら、本書を選ぶことは間違い無い。

何故に本書にそれ程引き込まれたのか考えるものの、明瞭な理屈は思い浮かばない。敢えて言えば、誰かに想いを寄せるようになった時の稚気めいた想い等を笑い飛ばすことも無く、登場人物の機微として描いているためだろうか。また分人主義をベースにした人間の狡猾さ、頑迷さを描き、悪人とも言うべき登場人物がいないためだろうか?

主人公がスランプに思い悩む重苦しさから、逃れ出て行く様が気持ち良い。また、差し迫ったソロ演奏の舞台を前にして主人公が亡くなった親友のギタリストと邂逅するシーンは、誰かの未来を幾分か支え得る生の重みを思いださせてくれる。

本書に登場するギター曲に興味が生じた場合、本書とタイアップした下記のCDを聴くのが良いと思う。

マチネの終わりに

マチネの終わりに

マチネの終わりに

マチネの終わりに

マチネの終わりに

マチネの終わりに

『スター・ウォーズ フォースの覚醒』

J=J=エイブラムス監督作品『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を観た。

何で『最後のジェダイ』が公開中のなか、『フォースの覚醒』を話をしているのかと思わず笑ってしまう。既に『最後のジェダイ』を劇場で観たが、1年半年後くらいに感想をブログに書くことになるのではないだろうか。

かなり迷った末に観に行ったが、本作は過去の作品の内容を出し惜しみせずに使用している潔さがあって好感が持てた一方、違和感もあった。どうやら私は普通の感性を持っているらしい。

登場人物に関して言うと、カイロ=レンの物に対して八つ当たりをするシーンが2回程有り、非常に小物感が出ていた。ダースベイダーに成りきれていないことが強調されているのだろうか。

レイとフィンの仲の良さがイマイチ判らないのは、私が内容を忘れているからなのだろうか。

レイが可愛いという声がちらほら聞こえたのだが、デイジー=リドリーを画像検索した時の期待感の裏切りようは何なのだろう。

エピソード1~3並のライトセーバーのチャンバラが観たいのだが、やはりエピソード6以降のジェダイという設定では望めないのだろうか?