小川一水著『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART1』を読んだ。
『天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク PART2』の続刊。遂にⅨ巻まで来た。
既に本書の続刊である『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART2』が刊行されているが、以下から本書の内容に触れる事を予めお伝えさせて頂く。
小川一水著『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART1』を読んだ。
『天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク PART2』の続刊。遂にⅨ巻まで来た。
既に本書の続刊である『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART2』が刊行されているが、以下から本書の内容に触れる事を予めお伝えさせて頂く。
ミハイル=A=ブルガーコフ著、水野忠夫訳『巨匠とマルガリータ』を読んだ。
ある春のとても暑い日、モスクワの公園で作家兼文芸雑誌の編集長と詩人がキリストの実在性について語っている。詩人は編集長に依頼されたキリストの存在を否定した詩を完成させたものの、編集長はお気に召さなかったらしい。編集長は売店で買ったソーダを飲み、日射病まがいの幻影にさらされながら、博覧強記で以てキリストの存在を否定し、詩人はこれに頷くばかりである。そこに怪しげな外国人が現れる。外国人は二人の話に割り込み、神を信じずまた実在性を否定する二人に問い掛ける。「神が存在しないとすれば、世の中の秩序は誰が支配するのか。」詩人はこれに対し「人間が自ら支配する。」と応える。しかし外国人は更に続ける。「千年先の事や、今日夜起こる事さえ判らない人間に何が判るのか。」カントと共に朝食を取った事もあるという外国人は、二人の今後をあっさり予言してみせる。編集長は路面電車に轢かれ、詩人は精神分裂症になるのだという。そして男はキリストが存在していたとして、ポンティウス=ピラトゥスを主人公としたナザレの人ヨシュアことキリストの物語を語り始める。
外国人が語り終えると編集長は「その物語はキリストがいた事を証明していない。」と反駁する。しかし外国人は「私はその場に居たので証明する必要は無いのです。」と語る。編集長は外国人を狂人と判断し、公衆電話で外国人観光局に連絡しようとその場を離れる。しかし編集長は外国人の予言通り路面電車に轢かれ首をはねられてしまう。詩人は外国人を追い掛けるうちに往来で下着姿になり精神病院に運ばれてしまう。
本書では、外国人が語ったピラトゥスを主人公とした物語と、外国人の格好をした悪魔たちがモスクワで引き起こす騒動が交互に語られる。そして詩人が精神病院で出会った巨匠を名乗る作家こそピラトゥスを主人公とした物語の創作者であった事が判る。悪魔たちは巨匠の身を案じる愛人マルガリータと接触し巨匠を救い、二人は悪魔に導かれ天上に昇る。
悪魔が起こすバカ騒ぎに笑い、福音の章と呼ばれるポンティウス=ピラトゥスを主人公とした格調高い物語に引き込まれる。著者であるブルガーコフはソ連に於いて戯曲や小説を発表する機会を得られなかったという。ピラトゥスを主人公とした物語を描き、文壇から排斥された巨匠とブルガーコフが重なり合い、その恨みとでも言うべきものが池澤夏樹が解説にて「ファンタスティック」と表する悪魔が起こす騒動で発散されているようにも思える。
本書を手に取ったのは、ストルガツキー兄弟の「モスクワ妄想倶楽部」を読んだ為だが、更に遡れば通勤途中、電車の中で黒衣の美しい女性が群像社版の本書を読んでいるのを見掛けた事がきっかけだった。私は池澤夏樹個人編集の世界文学全集のハードカバーで読んだが、現在は同内容の翻訳を岩波文庫で読むことが出来るようだ。
世界文学などと言うと敷居が高いように思われるが、これを読まないのは余りに勿体無いと思う。
巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)
北川恵海著『ちょっと今から仕事やめてくる』を読んだ。
たまたま先輩の社員から「読んでみる?」と渡されて読む機会を得た。常日頃仕事を辞めたいと思っていたからちょっと興味が惹かれる題名ではある。内容はタイトルの通りいわゆるブラック企業に勤める主人公が会社を辞める話だが、主人公の自殺を偶然止める事になった古い友人の正体を探る謎解きもあり、飽きずに読み進められた。
本書を読みながら、仕事に対する価値観やら生き方を他人に披瀝したり押し付けたりするつもりは自分には無いのだと実感した。
ちょっと今から仕事やめてくる<ちょっと今から仕事やめてくる> (メディアワークス文庫)
文部省編『民主主義』を読んだ。
一年程前、社会学者である西田亮介の「社会に政治を理解し、判断するための総合的な「道具立て」を提供せよ―文部省『民主主義』を読んで」という記事にて本書を知った。上記の記事や下記にリンクした記事から18歳以上に選挙権年齢を引き下げる公職選挙法改正や憲法改正を視野に入れた用意として本書を紹介している事が判る。
GHQ(連合国軍総司令部)とこれを補佐する部局CIE(民間情報教育局)が作成を指示、法哲学者尾高朝雄が編纂・執筆、経済学者大河内一男など一流の執筆者が揃えられたという。
教科書という形態に対して読むか迷った末、電子書籍を購入しスマートフォンで通勤等の空き時間を使って半年程で読み終えた。おそらく書籍として購入していれば本書を読み終える事は出来なかっただろう。電子書籍というフォーマットの有り難さを感じた。
他方、スマートフォン片手に休日の行楽に向かう人々を視界の端に本書を読み進めていると、何か自分が滑稽に思えて来る。眼前に紡がれるのは民主主義を実現する為の不断の努力を求める情熱的な筆致だ。本書が求める有権者の在り方は、敗戦70年を経て民主主義を当然の事として享受している私にさえ普遍性を持って迫ってくる。そして本書が求める多くが欠けている事に気が付かされる。
本書を読んでいた頃、集団的自衛権の容認を含めた安保法案を巡り民主主義の危機だという言説を多く見掛けた。民主主義の危機を回避する為に歴史を学んでいたのでは無かったか、そもそも集団的自衛権を解釈の領域に於いて甘んじていたのが誤りだったのでは無いだろうか、そんな事を考え複雑な気分になった。
西田亮介は批評誌『ゲンロン』にて「日常の政治と非日常の政治」と題してコラムを連載している。おそらくこれも本書同様道具立ての一つなのだろう。「ゲンロン2」では2016年7月10日に控えた参議院選挙と憲法改正に関する「事実」を確認しており、改選121議席のうち改憲派が77議席当選した場合、非改選議席の改憲派と併せて参議院の三分の二を達成するという。参議院の議席三分の二の達成は、憲法改正の発議を可能にする。
今回の記事を作成するにあたって、西田亮介が本書に解説を加えて編集した抄録版が刊行されている事を知った。本書のエッセンスを知りたければ新書を手に取るのも良いかもしれない。また新書発売にあたりネット上にて本書の一部が読めるようになっていた為、西田亮介の本書復刊の意図を説明した記事と併せて以下にリンクを貼る。
新書版の出版社幻冬舎ウェブサイトにて読める本書の一部
新書版を編集した西田亮介による解説
民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版 (幻冬舎新書)
民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版 (幻冬舎新書)
アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『波が風を消す』を読んだ。
マクシム=カンメラーが活躍する三部作の第三作目であり、異文明接触委員会が登場するNoon Universe〈未来年代記〉シリーズの一つでもある。『世界終末十億年前』の訳者による長中編の作品リストによれば、Noon Universe〈未来年代記〉シリーズは本書が最終巻となる。しかしストルガツキー兄弟は発表した作品を再構成する作家であり、短編が含まれていない事や、執筆順であるかどうかは判らない事から、はっきりとした事は言えない。
さて本書は三部作の主人公であるマクシムの回想録という体裁を取っており、その為だったのだろうか、一読した際に作品全体を把握出来ず、逐次再読を要しまとめるのに手間が掛かってしまった。
『波が風を消す』、この題名は一体何を意味するのだろうか。風が〈遍歴者〉であるならば波は人類であるから、人類から〈遍歴者〉の影響が消えるという事だろうか。それとも人類から進化した〈類人類〉が〈遍歴者〉を消すという事だろうか。それとも人類が〈遍歴者〉も〈類人類〉も消すという事だろうか。正直はっきりとしない。更に言えば、本書は本シリーズの〈遍歴者〉の究明を意図していたのにも関わらず、結果として〈遍歴者〉の存在が明かされない。おそらく〈類人類〉は〈遍歴者〉と同類もしくは〈遍歴者〉までの進化の過程と言えるのだろうが、『ストーカー』のゾーンと同じように物語の核でありながら正体を明かされない仕掛けという位置付けなのだろう。
本書を読み、その内容から連想したのはアーサー=C=クラークの『幼年期の終わり』だが、新たな進化を前にして様々な態度を取る人々を、より生々しく弱々しく滑稽に描写して見せるのはストルガツキーならではと思う。
*1:アメリカの小説家ワシントン=アーヴィングの短編名。アメリカ版浦島太郎として知られており、森鴎外が邦訳している。恥ずかしながら全く知らなかった作品である。
アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『蟻塚の中のかぶと虫』を読んだ。
マクシム=カンメラーが活躍する三部作の第二作目であり、異文明接触委員会が登場するNoon Universe〈未来年代記〉シリーズの一つでもある事は『収容所惑星』でも触れた通りである。本書では『地獄から来た青年』で登場した惑星ギガンダとその進歩官〈プログレッサー〉コルネイが重要な脇役として登場する。
ここまで読んで高度な文明が発展途上の文明にちょっかいを出す気持ち悪さ、しかも御大層に「実験歴史学」なるものまで用意している醜悪さが理解出来てきた。実験する為に歴史に関わってほしくない。本書の題名は、かぶと虫が蟻塚に侵入し慌てる蟻を眺めている様を〈遍歴者〉と人類にあてがった比喩である。マクシム=カンメラー三部作の中ではこの作品が一番好みだった。
私は古本屋で『収容所惑星』、『蟻塚の中のかぶと虫』、『波は風を消す』の文庫版セットを購入して読んだ。アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『収容所惑星』を読んだ。
マクシム=カンメラーが活躍する三部作の第一作目であり、異文明接触委員会が登場するNoon Universe〈未来年代記〉シリーズの一つでもある。この未来年代記にあたる他の作品に「神様はつらい」、「地獄から来た青年」がある。尚、本書は物語を覆す結末が用意されている作品であり、下記でこれについて触れている事を留意されたい。
本表紙が古臭いものの強烈な印象を与える。結末は知らなかったのだが、よくよく考えてみると異文明接触委員会が登場する事が分かれば察しがついたかもしれない。ストルガツキー兄弟の作品で娯楽的な結末―但し苦渋に満ちている―が用意されているとは思ってもみなかった。
上司が「もうすぐ三月十一日だ。」という。何年経ったのだろう。「もう五年だよ。」そんなに時間があったのに成長した気がしない。「日々変わっていると思う。」果たしてそうだろうか?
振袖姿の女性を見掛ける。
自らを引き受けるという人生の掛け替えの無さ。この言葉は気に入っている。
当初の目的も忘れ、同じ話題を繰り返してまた一年経った。二十代後半の生活の記録する事が目的だった事を鑑みるとこれは達したと言えるだろう。一つの区切りに辿り着けた事にほっとしている。肩の荷を降ろす事が出来た気分だ。そして語るべき事も無くなったという気がしている。
SAX RUINS の Blimmguass という曲を繰り返し聴いている。二つの曲調がフェードアウトを何度も繰り返している。
雪が降るという予報だったが結果として雨だった。
どうやら業務内容が変わる可能性があるらしい。全くアテにならない話だと思った。
友人からメールが届いていた。今度自家焙煎のコーヒーを振る舞ってくれるという。インスタントコーヒーしか飲まない馬鹿舌には贅沢な話だ。
小埜涼子、吉田達也のSAX RUINSの作品を聴いている。シリアスな内容なのかと思ったがドリフの効果音みたいな音が鳴ったりする遊びが楽しい。
外周りの為に家を遅く出たところ、子どもを自転車に乗せた人々を多く見掛ける。出勤時間を少し変えただけで住む場所の印象は変わるものだなと感慨深い。
株式会社はてな、東京マザーズ上場という広告を見掛ける。
タオルケットやらバスタオルやらを新調したところ、大変快適になった。
商店街のポスターに髭面ストライプの小学生の絵が揺れている。当初は何を描きたいのか判らなかったが、ラグビー選手という事なのだろう。
マリーマリーマリーの新刊を読んだ。相変わらず緩い内容だった。
客先の人事異動に関する話題が聞こえて来た。もう春なのだと思う。
イヤフォンの電池が切れ、騒音にさらされる。
週末の陽気に眠気を誘われる。
少し外に出ただけで目と鼻がむずつく。
椅子と机を用意しようと家具専門店を訪ねた。購入書類に記入するなど店員の手作業が多い。理由を尋ねると「店内に入力するパソコンが少なくお客様を待たせないよう手書きで購入手続きを済ませています。」と言う。更に勤務状況を尋ねると営業時間外でも家具の組み立て、レイアウトの一新、店内の清掃と朝早く夜遅いという。「スーツですけど実際作業着でも着ていた方が便利ですよ。」思わずため息が出てしまう。
アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『世界終末十億年前 異常な状況で発見された手記』を読んだ。
二世紀振りの猛暑、「ありきたりの天体物理学に恒星力学。恒星と拡散物質の相互作用。」を研究する天文学者マリャーノフはある一つの発見をしようとしていた。しかしそれを遮るように、身に覚えのない高価な食料品が届いたり、生物学者の友人ワインガルテンが突然電話掛けてよこし、今まで興味を持たなかったマリャーノフの研究について聴きたがった。電話の途中、妻の友人だという女性が家に上がり込み、隣人の物理学者スニョゴヴォーイを交えて酒と共に雑談に耽るなか、スニョゴヴォーイもまたマリャーノフの研究について知りたがった。翌日、スニョゴヴォーイが死んだと捜査官が訪れ、女性は姿を消していた。慌てたマリャーノフは上階に住む数学者ヴェチェローフスキイの元に駆け込む。
部屋に戻れば生物学者ワインガルテンとスニョゴヴォーイが口にしていた電子工学者ザハールとその子どもが居た。ワインガルテンはある発見をしたものの日常にごたごたが起き研究が進まずにいた。そして突然赤毛の男が部屋に訪れ、地球外文明の代表を名乗り、今までの騒ぎは意図したものであり研究を断念させる為だったと語った上、マリャーノフとザハールの研究も注視しているという。ザハールは昔関係を持った女性が次々と現れ、そして一人は子どもを連れてやって来た。古代から地球には九人同盟なる存在がおり科学的成果を蓄積し地球が自滅しないよう監視しているのだと彼女は言い、子どもを残して立ち去った。
更に東洋学者グルーホフも加わり、自分たちに起きている事態を荒唐無稽だと思いながら議論するなか、皆の話を聞いた数学者ヴェチェローフスキイはマリャーノフに〈均衡の取れた宇宙(ホメオスタチック ユニヴァース)〉なる考えを示す。「宇宙はその構造を維持しつづける」という公理の元、マリャーノフたちの研究がそれを脅かす可能性があり、十億年後に他の何千何万の研究と一体となって世界を終末に導かないようにしているのだという。
最初は荒唐無稽な話だと馬鹿にしていたマリャーノフだったが、家族や現在の生活を守る為に研究を諦める。しかし皆の研究資料を預かった数学者ヴェチェローフスキイは今の仕事を辞め、皆の研究の交わりとこれを断念させようとする法則を見つけるべく、パミール高原で仕事をするという。マリャーノフはヴェチェローフスキイが話を終えたのにも関わらずその続きを聞いていた。「十億年あれば、やれることは沢山ある、もし降伏しないで理解すれば、理解して降伏しなければ。」「蝋燭がパチパチ弾ける音を聞きながらだって原稿用紙は埋めることはできるんだ!ブラック・リバーのほとりにだって、命を捧げる価値のあるものはみつかるはずだ、と……」
「月曜日は土曜日に始まる」、「トロイカ物語」が乗り気でなかっただけに夢中で読み進めた。ストルガツキー兄弟の作品の中でも特に好きな話だ。また本作はアレクサンドル=ソクーロフが邦題「日陽はしづかに発酵し…」として映画化しており、またストルガツキー兄弟も「蝕の日」と題して本作の映画シナリオを発表している。
尚、本書にはアルカジー=ストルガツキーによる自伝、深見弾による作品リストが掲載されている。
客と同業他社と共に現場に赴く珍しい業務を与えられたのだが、何かと疲れたのは現場を取り仕切るリーダーの不在だろう。
路上に犬の糞が入れられた袋が踏みつけられていた。
電車の扉に「げじまーゆ」とかき傷があった。
fallout4ばかりプレイしている。何も無い日常生活を綴るより、よっぽどゲームのが内容を綴った方がよい気がして来た。
レキシントンを散策しているとスコープがグールを捉えた。屋根の上を確保し狙撃を始めるとグールが集まって来た。ライフルで数を減らした後、接近戦で片をつけた。ここのゾンビはよく走る。更に街に入るとスーパーウルトラマーケットという冗談みたいな場所を見つける。地下に入るとグールの巣窟になっていた。ゾンビと言えばスーパーマーケットとはお約束だ。接近戦の技術が乏しい為、その場を後にしスーパーマーケットの屋上を確保する。遠くの建物にレイダーが寛いているのが見えた。市街地を制圧したかったのでこれを狙撃して殺した。建物に接近するとタレットが確認出来た。これを破壊していると遠くから銃声が聞こえ始めた。別の場所で戦闘が行われているようだ。気にしてもしょうが無いとアイテムを回収した後、市街地に進むとグールがいる。これを片づけると付近にレイダーやグールの死骸が散らばっていた。あの銃声はここが出処だろう。アイテムを奪い持ち物が一杯になったところでサンクチュアリに帰還した。武器を改造したいところだが接着剤が足りないようだった。
電車で移動中、不器用な青年と猫の生活を描いた同居人はひざ、時々、頭の上という作品の広告を見掛け、ネット上で公開された作品を読んだ。青年視点と猫視点を分けて描いているのが新鮮だった。十万部売れているそうである。他にもライトな推理小説等の広告が目に入る。これもとても売れているらしい。
引き続きレキシントンを訪れた。トラップに掛かりで爆死したりするなかアパートに辿り着いた。最上階にレイダーが居た為、グレネードを放り投げたところ、リーダーは死んだものの雑魚が残ったので仕方無く接近戦に臨んだ。何処かの入植者と諍いを起こしているレイダーと思われたが詳しくは判らない。その後、グールを掃討しながら進むとスーパーマーケットの出入口を発見した。中には倒れたグールが無数居た。ヘッドショットで息の根を止めながら奥に進むとミニッツメンの死体があった。アイテムを回収した上で、端末をハッキングしロボットに残りのグールを排除させた。アイテムが一杯になったところでサンクチュアリに帰還した。
哲人と青年の対話形式の本を読む女性を見掛ける。どうやらアドラー流心理学を解説した本らしくとても売れているらしい。
スーパーマーケットの探索していたところ、複数のミニッツメンの死体を見つける。どうやらグールをしのぎきれなかったらしい。残されたデータにも悲鳴にも似た報告が残っていた。グールに照準を合わせると伝説級だと判った。ひたすら射撃したところあっさり倒れた。正面に捉えたままだったのが功を奏したらしい。運が良かったと思う。
タオルケットが破れた。よくよく考えてみると五年以上使っていたものだ。引越しした際に買ったものがそろそろガタが来始める頃かもしれない。新天地で家具を買い揃え新たな生活をしたいと思うものの先立つものが無い。
何年振りかに友人から連絡を貰った。話し終えて横になると取り留めの無い記憶が頭をよぎる。記憶は断片的で非連続的なものなのだと改めて実感した。
アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『トロイカ物語』を読んだ。
「月曜日は土曜日に始まる」の続編にあたる作品。ただし訳者あとがきの通り、本作は二度発表されており、1968年シベリア地方文芸誌「アンガラ」に掲載された作品と1987年「スメナ―」に掲載された異なる内容のものがある。本書はこの二作の邦訳が収録され、細部の違いを楽しめるにようになっている。
異常現象の合理化と活用に関する三人委員会(トロイカ)が権力を握ったコロニー。プログラマーであるプリワーロフはブラックボックスを、エジクはお喋り南京虫を手に入れるべく、この委員会に出席する。この委員会ではあらゆる異常の存在する権利を審査していた。しかし実際にそこで行われていたのは凡庸な人々の官僚主義的で保守的なお役所仕事だった。プリワーロフはブラックボックスを手に入れるべく申請するも唯の黒い箱がブラックボックスだと決めつけられ、お喋り南京虫は自らを認めてもらうべく委員会で演説するも捻り潰されそうになる。その他、人間を尊敬する雪男、地球に不時着してしまい元居た場所に帰れなくなった詩の読者である宇宙人、翼竜、首長竜、過去の文献を読みたがる巨大なタコの妖怪等が登場する。
本書は官僚主義や保守主義を風刺した作品だったため体制批判とみなされアンガラは発禁処分となり編集部全員が首になってしまった。ストルガツキー兄弟はその後作品を発表する場が少なくなった。この時期アルカジーは翻訳で生活するしかなく、深見弾はアルカジーに義経紀等の資料を送って激励していたいう。
朝家を出ると赤い髪の男性が眠り掛けた金髪の女性を支えながら歩いているのを見掛ける。
上司に突き抜けた男と評され、思わず充実した毎日を送っていると口にした時、欺瞞だと思った。
あるルールの上での裁量に一喜一憂している場合では無い。
ヤカンを眺めていると、ふとヤカンが溶けるまで火に晒していた夢を観た事を思い出した。
ジムのモニターでニュースを眺めるのだが延々と殺人事件に関する話題が続く。憮然とした容疑者の表情はまるで反省していないような、またカメラに向けて敵意を抱いているようにも見える。どうにも落ち着かないのは、伝えられる事実より印象の方が大きく残るからだろう。こんな事は以前も書いた気がする。
アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『月曜日は土曜日に始まる 若い科学者のための物語』を読んだ。
プログラマーである青年プリワーロフは旅の道中に二人の男性と出会う。男たちはプリワーロフの仕事を知るとちょうどプログラマーを探していたところなのだという。二人の好意によりある老女の家に泊まると、庭で猫が詩を諳んじながらど忘れしている声が聴こえ、鏡が喋り出し、井戸のカワカマスはどんな願い事を叶えられるが電化製品は勘弁して欲しいと言い出す。実は街には魔法妖術科学研究所があり、魔術やら魔法の道具やら精霊やら魔神やらが跋扈していたのだ。プリワーロフはプログラマーとして魔法妖術科学研究所で働き始め、研究所で起きる騒動に巻き込まれる事になる。
頭の中である公式を演算すればそこにリンゴが現れる。研究所にはイフリートやらジンがうろついている。舞台は現代そのままに科学と魔術が混合した設定となっており、正に現代にお伽話といった内容である。こういった話を面白がってやりたかったのだが、正直どうにも乗り気になれなかった。たぶんもう少し若い時、正に頭が混淆としていたハイブリッドな科学者だった十代の頃に読みたかった。しかしながら終盤に用意された二人のヤヌスことヤヌス-Aとヤヌス-Uの時間に関する謎解きが非常に面白かった。
タイトルが素晴らしいと思うが、これはワーカホリックな研究所に勤める職員たちの合言葉である。つまり休みになった土曜日こそ月曜日のように仕事をするという訳だ。私にはとても出来ない。
ジョン=ルイスの平均律クラビィーアをようやく全て聴く事が出来た。
GRAPEVINEの新譜BABEL,BABELを聴いた。これが素晴らしい。音の質が明らかに変わった。事務所移籍後の前作が結節点だったと言われるのかもしれない。しかし前作はこれまでのアルバムと比較すると想定出来る変化だった。
ホームに設置された消火栓設備越しに野武士の晒し首みたいな顔をしていた男性が家族を連れているのを見掛けた。どうやら元々不満気な表情を浮かべているらしい。
fallout4を年末にダウンロードしていたのだがハードディスクの不調もあったため放置していた。ハードディスクを新調してからプレイを始めたのだが、序盤の蚊の幼虫の攻略が判らず、やっと手榴弾を投げれば良い事に気がつくという始末。skyrim 以来にコントローラーを持った事もありボタンの割り振りを覚えるまでが難儀である。
マフラー無しでも問題無い陽気だった。
病院の待合室で六十代以上と思われる女性が保険の効かない高価な美容液を購入しているのを見掛けた。
スター・ウォーズ フォースの覚醒を観た。重い腰を上げたというのが正直なところだが、テンション低めで観たせいかもしれない、サッパリとした内容という印象である。旧作品のオマージュを含め使えるネタはなんでも使うという潔さが良い。またフォースを音で表現するのは新しい。もっとライトセイバーの立ち回りが格好良ければ良いのだが、古いジェダイが隆盛していた新三部作でなく、新しいジェダイの黎明期である旧三部作の続編であるから、フォースの使い手もまだ発展途上なのかもしれない。次作にとりあえず期待したい。
Jazz The New Chapter 3の音源を割と聴いたのだが結構気になるものがあった。まあ購入して聴くか置くとしてだが。